古墳時代

仏教"伝来”はもう古い⁉いつ、どこから来たか・覚え方も紹介するよ。

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日本と仏教のかかわりは相当古くからある・・・ってことは、まあ誰でも知ってるよね。

修学旅行なんかで京都や奈良に行ったことがある人なら、奈良時代や平安時代に作られたお寺を見たことがあるはず。

 

東大寺とか有名だよね。

 

ところで。

じゃあ日本で一番古いお寺は一体いつ頃建てられたのか、というと・・・。

 

なんと奈良時代よりももっと前。古墳時代に建てられていたんだ。

もっと言えば、日本に仏教が入ってきたのも古墳時代(1500年くらい前)だということだね。

 

※(ちなみに日本最古のお寺は、飛鳥寺(あすかでら)。6世紀末ごろに建てられたといわれていて、飛鳥時代とも言う。

仏教公伝(伝来)とは?

 

冒頭でも言った通り、仏教が日本に入ってきたのは古墳時代後期。

 

ただ、仏教は“私的な信仰として”なら5世紀(もしくはもっと前)からあったと言われている。

 

中国や朝鮮から日本に来た人(渡来人)たちは既に仏教を信仰している人が多くて、日本に来てからも渡来人のグループで仏教を信仰していたらしい。

これを“仏教私伝”なんて言ったりする。

 

仏教が国によって公式に伝えられたのが、6世紀末の“仏教公伝”というわけだ。

具体的には、百済という国から日本のヤマト政権に対して仏教が伝えられた。

 

そうそう、ちょっと前までは6世紀末の仏教公伝のことを「仏教伝来」とひとくくりにして言っていた。僕が学校で教えられた時も仏教「伝来」で覚えた。

 

・・・んだけど、最近は「私的な信仰だったら5世紀より前からあったし、“6世紀末に仏教が伝わった”とするのはどうなん?」という話になって、仏教公伝というようになった。

 

学校では今どっちで教えられてるんだろう?仏教公伝って言ってるのかな。

 

 

仏教公伝はいつ?論争

 

実は仏教公伝の年代を巡って、2つの説が未だに対立している。

仏教公伝が552年に行われたとする説(壬申説)と、538年に行われたとする説(戊午説)だ。

 

552年説と538年説はそれぞれ根拠にしている文献が違っていて、

 

  • 552年説・・・「日本書紀」の記述が根拠
  • 538年説・・・「上宮聖徳法王帝説」「元興寺伽藍縁起并流記資財帳」の記述が根拠

 

となっている。

 

日本書紀も後ろ2つの文献も、古墳時代よりずっと後の8世紀ごろに書かれた歴史書だから、意外と古墳時代の出来事についてはテキトーだったり話を盛ってたりすることがあるって前提は頭に入れておいてね。

 

ただそんな中でも、仏教公伝が行われたころの日本書紀の記述がかなり混乱してて、「上宮~」や「元興寺~」の文献の方が割とスジ通ってる雰囲気なので538年説の方が有力。

 

というわけで、一般的には538年仏教公伝ということになっている。受験生のみんなも、538年仏教公伝で覚えておこう。

ちなみに語呂は、「ご参拝(538)仏教公伝」が一番いいかな。

 

 

仏教公伝で“あの”勢力争いにまで発展!?

 

日本に仏教が伝わるはるか前から、日本には“古神道”と呼ばれるちょっとした宗教があった。

極端に言えば縄文時代からあった。

 

いわゆるアニミズム(=自然崇拝)ってやつ。縄文時代のとこでやったね。

 

ざっくり言うと自然を畏れ、自然の中に魂だとか神だとかを見出すような信仰が古神道。

そんな考え方が浸透していた日本に、突然仏教という異なる考え方をした宗教が入ってきたわけだ。

 

すると当然、「どっち支持するんだ?」という論争が始まるワケだ。

 

仏教を伝えられた大和政権の中には、

 

「仏教は中国や朝鮮、さらには東南アジアの方でも信仰されているすごい宗教だし、日本も信仰すべきでは?」と考える人もいれば、「いやいや日本に昔からある古神道を信仰し続けるべきだろ」と考える人もいた。

 

で、前者の考えを持っていたのが蘇我氏で、後者の考え方が物部氏・中臣氏。

蘇我氏と物部氏。う~ん香ばしい名前だね。

 

蘇我馬子と物部守屋の対立とか学校で絶対やると思うんだけど、その対立の原因の一つがこの頃の宗教的な対立だったんじゃないかと言われているんだよ。

 

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