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平塚らいてうと与謝野晶子の関係とは?母性保護論争って?

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前回は著名な女性解放運動の活動家だった平塚らいてうについて見てきたね。

 

今回は平塚らいてうと関係の深い、平塚とはまた違うアプローチで当時の社会に一石を投じていた与謝野晶子について。

この二人は思想面で共通するところもあった一方で、いくつかの有名な論争を繰り広げたことでも有名だ。

 

どういうことか、詳しく見ていこう。

平塚らいてうと与謝野晶子

 

平塚らいてうは、与謝野晶子との関わりが結構あった。

 

与謝野晶子は歌集『乱れ髪』などで、当時の社会ではあり得なかった「女性が性や愛について自由に語る」ということをやり、

世間から圧倒的支持を受けた人。

『君死にたまふことなかれ』も有名だよね。

 

そんな与謝野晶子は、平塚らいてうが『青鞜』を創刊した際にも詩を寄せるなど平塚の活動を応援していた。

与謝野晶子自身も女性の参政権を唱えていたんで、思想的に近しい部分もあったんだろうね。

 

母性保護論争

ただその一方で、平塚とは何度か論争を繰り広げてもいる。

 

例えば、「母性保護論争」

 

与謝野晶子は、「男が稼いでくるお金や、国からの補助金に頼って妊娠・出産・育児をするのはNO!女性は経済的に自立しなきゃ!」と意見したのに対し、

 

平塚は

「女性が妊娠・出産・育児をすることは、社会や国の発展につながるんだから国が保護すべきだ!」

「そもそも育児とハードな仕事は両立無理じゃね?晶子さんみたいな物書きならともかく」

として批判した。

 

与謝野晶子は簡単に言うと「夫婦共働き前提で、出産後も働くべき!」という考え方で、

平塚は「育児期間は仕事すんのは基本的に無理だから、そこは国が保護すべき」という考え方だね。

 

これは当時の有識者の間で大きな論争に発展して、それが現代のフェミニズムにもつながってる。

 

新婦人協会への批判

 

また、新婦人協会が行っていた「花柳病男子結婚制限の法制化」についても与謝野晶子は批判をしている。

 

「性病持ちの男性に対して結婚を制限するってことは、自由恋愛で結婚したいと願う男女を引き裂くことになるよ?」

「そもそも結婚について法律で縛ること自体おかしくない?」

って感じでね。

 

こんな風に与謝野晶子と平塚らいてうは思想面で対立する部分もあったけど、女性の権利向上のため活動した点では一致している。

いずれにせよ、こういった戦前の運動があったからこそ戦後日本の女性解放運動にもつながっていったんだね。

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