【安土桃山時代のキリシタン大名①の続き】
前回に引き続き、キリシタン大名の一人・有馬晴信について見ていくよ。
有馬晴信は最初キリスト教を利用していた?
晴信は、もともと有馬家の次男として生まれた。
だから本来であれば兄である長男が家を継ぐはずだった。
しかし兄が早くに逝ってしまい、5歳で家督を継ぐハメに。
しかも有馬家の塚国は強力な武将・龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)がいて、圧迫が強まっていた。
これをなんとしても撃退するべく、当時布教を行おうとしていた宣教師たちと接触。
自らキリスト教徒となる見返りに資金や武器を手に入れようとしたんだ。
だから最初はイエズス会、ひいてはキリスト教を利用していたともいえるんだ。
やがて熱烈な信者に。
その後は有馬家を守るべく、手を組む相手を変えながらのらりくらり立ち回っていた。
そんな中、当初は武器や資金のために利用していたキリスト教に晴信はドはまりするようになっていた。
豊臣秀吉が天下をとり、次第にキリスト教への弾圧が強まっていく中でも数万人を超えるキリシタンを保護していたという。
その後禁教令が出ても自信はキリスト教徒であり続けた。
しかし江戸時代初期、海外で有馬の領民が殺されるという事件が発生。
これに怒った晴信はポルトガル船を攻撃する。
ポルトガルはイエズス会と関係があるから、当然関係が悪化してしまう。
加えて日本でも泥沼の権力争いに巻き込まれて、やがて晴信は切腹となってしまう。