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阿部信行内閣と米内光政内閣までの流れについて第二次世界大戦突入までの道。

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日本はドイツとの軍事同盟を結ぶために平沼騏一郎内閣は準備を進めていたんだけども

ドイツ勝手にソ連と不可侵条約を結んじゃう。

『おいおい、ドイツさん。日独防共協定忘れたんですか??』

という日本は国際情勢の激動に取り残されてしまうわけだけど、その後誕生した、阿部信行内閣と米内光政内閣は大学受験の日本史においてはあまりにも影の薄い存在。

そんな2つの内閣に関しては重要な部分だけピックアップして紹介するよ。

 

阿部伸行内閣と米内光政内閣

ドイツがポーランドに侵攻した事で第二次世界大戦勃発 → 阿部信行内閣の時

阿部信行は第二次世界大戦に関して

戦争に参加しない方針を取ったんだ。それで総辞職。わずか半年で退陣してしまったわけだね。

 

その後成立したのが米内光政内閣。

彼もまたイタリアとドイツとの軍事同盟に消極的な人物で穏健な平和主義者だったんだ。

でもね、1940年頃にドイツがどんどんヨーロッパを攻めていく様子に当時の日本のメディアも

『いいぞ!ドイツ!もっとやれ!!』と言わんばかりの勢いでフランスがドイツに降伏した時には日本もドイツの勝利を喜ぶ声でいっぱいだったんだ。

日本のメディアはいけいけどんどんでさ。

『ドイツ、イギリスにも勝っちゃうんじゃね??』

くらいの勢いで、ドイツと軍事同盟を結んで日本は東南アジアに南下して陣地取りができるんじゃないか?って考えていたわけさ。

だから、親米英だった米内光政は陸軍の圧力で倒れてしまったわけ。

 

このように阿部信行内閣と米内光政内閣は戦争に対して消極的だった、今の日本の価値観だと褒めたたえるべき人物なわけだね。

でも当時の日本からしたら戦争に突き進んでいく流れだったから世間からは迎合されなかった。

在任期間も短いし重要事項を行っていないから大学受験の日本史だとちょっと影が薄いんだけど、本当はもっと注目されるべき人物たちだ。

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