戦後の処理にあたった東久邇宮稔彦王は陸軍大将であり、皇族出身という事もあって戦後処理はスムーズに進んだんだけど
GHQからの人権指令に納得できず退陣。
その後、内閣総理大臣を務めた幣原喜重郎内閣の時の『五大改革指令』に関して今日は学習しよう。
五大改革指令とは?
1945年10月に幣原喜重郎はマッカーサーのところを訪れてね。
『これとこれとこれと・・・あと、これ!そうそう、これも!!』と口頭で指示された事に従ったのが五大改革指令だね。
なんで口頭やねん!
と大学受験当時は私もつっこんだものだけど、GHQは重要な内容になればなるほど、神に残さないようにして口頭で指示を出したんだって。
内容は以下の通り。
1、憲法の自由主義化と参政権付与による婦人の解放
2、労働組合の結成奨励
3、教育制度の改革
4、秘密警察などの廃止
5、経済機構の民主化
僕は大学受験の時に、先生に『ひろき、毛!毛!』と覚え方を教わったよ。
先生はちょうどドリフターズ世代でね、『志村!後ろ!後ろ!』みたいな鉄板ネタがあったらしくて、それをパロディして『ひろき、毛!毛!』って言ってたね。
誰も知らないからめちゃくちゃ寒かった記憶があるんだけけど、そのおかげでおぼえられたね。
ひ・・・秘密警察の廃止
ろ・・・労働組合の奨励
き・・・教育制度の改革
け・・・憲法の自由主義化と婦人参政権
け・・・経済機構の民主化
ってわけだね。
五大改革指令の内容
基本的に理解は暗記を助けるから、戦前の日本が取っていた政策を改めるものだとして五大改革指令に関しては理解してほしい。
五大改革指令の内容は戦後のいわゆる民主化政策って事さ。
1、憲法の自由主義化と参政権付与による婦人の解放
実は日本の歴史で女性が政治に直接参加できるようになったのはここ数十年の話って考えるとなんかビックリするよね。
スピード感もすごいんだけど10月に幣原喜重郎がマッカーサーに口頭で指示されて、その年の12月には衆議院議員選挙法を改正して
女性参政権が認められた。それだけではなくて、思想、信仰、政治活動も自由が保障されるようになったんだ。
中学の公民の授業でも憲法が自由を保障しているって習ったよね。
2、労働組合の結成奨励
戦前の日本は労働者を低賃金で使って、節約させて労働させまくっていたから労働組合の結成を促したんだ。
高校生だとイメージが湧きづらいかもしれないけど大企業なんかは労働組合ってのがあって、従業員が労働組合に参加して、
労働組合が企業の経営陣に賃金や労働環境の交渉を行ったりするんだよね。
裏話としてはさ、日本は戦争で負けたものの工業国としての実力はあったから、安い価格で製品を輸出されちゃうとアメリカ側は困ったから
労働組合作って労働者の賃上げをさせたんだよね。
労働組合は1945年12月に労働組合法が出されて、労働者の団結権・団体交渉権・争議権(労働三権)の保障がされたね。
3、教育制度の改革
その名の通り教育を改める改革だね。教職追放が出された、軍人や軍国主義者は教師から追放されたよ、実にその数11万人!
ここで男女共学になったから僕らとしてはGHQサンキュー!って感じだね。
教育に関しては、一気に変えられないから今まで使っていた教科書の不都合な部分を黒塗りにした『黒塗り教科書』がしばらく使われていたよ。
翌年の1946年にはアメリカ教育使節団がGHQに呼ばれてやってきて日本の教育を1から立て直す方向に舵が取られたわけだ。
当時はGHQは日本人にローマ字を覚えさせて英語を話させようとしていたくらいなんだけど、日本人はよく阻止したよね。
学校教育法ができあがるのは2年後の1947年3月の話だね。
4、秘密警察などの廃止
秘密警察は特別高等警察の事。
戦前の日本は、政府の思想に反対するもの、特に共産主義の人達の取り締まりに力を入れていたね。
この秘密警察ってのは共産主義者を逮捕するための警察だったんだ。
政府に都合の悪い思想を持った人達は逮捕するための警察なんだけど、GHQは民主化のためにもちろん秘密警察を禁止したよ。
5、経済機構の民主化
ラストは経済機構の民主化。
戦前の日本が財閥があまりにも強すぎてほぼすべての産業を牛耳っていたね。
例えば、携帯会社のソフトバンクがさ、車も家電も農業もぜーんぶやってたらどう?そこに民主化なんてないでしょ?
だからGHQは財閥を解体させて経済機構の民主化を図ったわけだね。
財閥解体について詳しく知りたい人は、『財閥解体のメリットって?簡単にわかりやすく。現在はどうなってるの?』の記事を読んでね。