前にヤマト政権についての記事で、遣隋使について見たことがあったね。
(https://jahistory.com/ken-zui-shi/)
第二回遣隋使では中国の皇帝をブチ切れさせるという大事件があったものの、なんやかんやその後関係は築かれて行って、朝貢貿易が成り立っていた。
その隋が618年に滅びてしまい、代わりに唐という国になったんだけど、日本はそのあとも交流を続けた。
で、そこで送られていたのが遣唐使だ。
遣唐使の目的
遣唐使の役割は遣隋使のころと変わってない。
当時の先進国だった中国の文化を吸収して持ち帰ったり、中国に留学していろいろなことを勉強したり・・・。
まあ一番は文化や仏教を学んでくることだね。
遣唐使は約250年続いた!
遣唐使の送り始めごろは中国と日本の関係は良くなかった。(実際白村江の戦いが663年に起きてるしね。)
だから中国側と争いが絶えなかったと推測されている。
663年の白村江の戦いで中国との関係が超悪化した後は、遣唐使は関係改善係として送り込まれていたりした。
その後、702年(大宝律令が発表された翌年)の遣唐使で唐との関係が大きく改善。
ここから頻繁に送られるようになった。
遣唐使は(途中中断したりはしたけど)630年から894年まで、約250年間もの間続いたんだ。
ちなみに894年の遣唐使派遣中止は、結構大きな出来事なので後々記事にするね。