和田義盛・大江広元・三善康信は鎌倉幕府初期の中心人物だ!

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以前の「鎌倉幕府の仕組み」の記事で説明したんだけど、鎌倉幕府はトップ層である「将軍」「執権」「連署」の下に9つの独立組織があった。

その中で、

  • 侍所
  • 公文所(政所)
  • 問注所

この3つについては、初代別当(べっとう、長官のこと)を覚えておく必要がある。

鎌倉幕府の初期を語るうえでは、絶対に外せない3人なんだ。

初代別当の3人とは

侍所、公文所(政所)、問注所についての説明は以前の記事でもしたけれど一応おさらい!

  • 侍所御家人の統率&軍事・警察
  • 公文所(政所)一般政務
  • 問注所裁判所

の役割をそれぞれ持ってるんだよね。

 

ではまず、侍所の初代別当から。

侍所初代別当・和田義盛(わだよしもり)

和田義盛は、頼朝が「平氏をぶっつぶすぞ!」と挙兵した時一緒になって挙兵した人。つまり、源平合戦のころから頼朝の同志だったんだね。

平氏がみんな死んだあとも戦いでの功績をあげたことで、頼朝が征夷大将軍になった後は幕府に仕える武士のトップとして、侍所の初代長官となった。

 

頼朝が死んだ後は“有力御家人”として権力を持った。

・・・んだけど、執権を世襲する“北条氏”っていうヤバい連中に挑発されて幕府側と対立してしまい、一族ともども死んでしまう。

公文所(政所)別当・大江広元(おおえのひろもと)

この人はまさに初期の幕府のブレイン。

もともとは京都で朝廷に仕えていた官僚なんだけど、頼朝が鎌倉に招いた形で公文所の長官になる。

 

元官僚だけに法律や政治のことについては一流で知識も豊富。鎌倉幕府初期の重要な仕組みの一つに「守護・地頭」っていうのがあるけど、この仕組みを提案したのも大江広元なんだ。

 

まさに幕府成立を支えた功労者と言えるね。

 

問注所執事・三善康信(みよしのやすのぶ)

三善康信も大江広元とおんなじで、元官僚。頼朝に招かれて鎌倉幕府に仕えるようになった。

頼朝とは深いつながりがある。

頼朝が一時島流しにされていた時も情報を提供していて、頼朝の挙兵に大きな貢献をしたんだ。

 

ちなみに、問注所だけは長官のことを「別当(べっとう)」といわずに「執事(しつじ)」と言うよ。

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