上杉治憲(鷹山)の藩政改革!倹約・殖産興業・教育全部乗せ【後編】

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さあ、上杉治憲(鷹山)の藩政改革、後編に突入だ!

治憲の行った改革の核心に迫っていくよ。

 

藩主になった直後に「身を切る改革」

治憲が藩主になったのは、なんと17歳の時。

前の藩主が無能オブ無能だったせいで、もはや藩の命運を若い治憲に任せるしかなかったんだ。

 

藩主になった直後、治憲は大倹約令を放つ。

年間にかかる生活費を1500両から209両まで爆削減。

一汁一菜を徹底させ、女中の数も50人から9人に大幅削減。

自分の就任パーティーの時も、赤飯と酒だけで行われた。

 

また、自身の「君主自ら耕す」というモットーに従って家臣たちとともにまさかの農民に混ざって田んぼ作業。

一国の主ほどのお偉いさんが泥まみれになって田畑を耕す姿を見て、家臣や庶民はみな感動した。

 

これら治憲の行った行動で、家臣たちは治憲の「本気度」を知る。

 

殖産興業で財政立て直しだ!

治憲も細川重賢のように、米だけを主体とした経済を行っていては状況は良くならないと考えていた。

だから、殖産興業を実施する。

 

漆や楮など、自分の藩の特産物を生み出して、これで利益を増やす計画を打ち出す。

 

飢饉対策も充実

治憲は飢饉による餓死者を出さぬよう、義倉のような食糧備蓄倉庫を作る。

さらに「かてもの」呼ばれる、「食糧がなくなったときに食べるべきものをまとめたガイドブック」が配られた。

これによって餓死者を最低限に抑えることができたという。

 

庶民にも教育を!

 

治憲が行った施策の中でとりわけ特徴的だったのが、教育機関の設置。

と言ってもただの教育機関ではない。

 

かつて藩校であった興譲館を復活させ、今度は藩士だけでなく農民・藩士の身分関係なく誰でも学べる学校を作ったんだ。

 

これは非常に画期的だった。

治憲は藩士だけでなく農民も大切な人たちとしていたんだね。

まとめ

上杉治憲は、こんな名言を残している。

「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」

破綻寸前の藩を復活させた治憲だからこそ出てきた言葉だね。

 

治憲は、自分が死ぬまでの間に200年以上抱え続けた借金をほとんど返済してしまったという。

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