江戸時代の日朝関係をわかりやすく!

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前回まで二回に分けて、鎖国政策について見てきたね。

何度も言ってきて耳たこだと思うけど、鎖国の目的は「禁教と貿易統制」。

 

鎖国令や奉書船などの法令や制度を作って、可能な限り外国をシャットアウトしてきたわけだ。

一方でオランダと清は貿易を認められていて、それが出島で長崎貿易につながっていったんだね。

 

今回は、江戸時代に関係のあったオランダ・清以外の国、朝鮮と中国について見ていくよ。

己酉約条

朝鮮との関係は江戸時代でも続いていくんだ。ただ朝鮮との貿易は長崎の出島では行われていなかった。

ここで出てくるのが、対馬の宗氏。

宗氏って何だっけ?

室町幕府から続く対馬島主だったよね。江戸時代では対馬府中藩主として朝鮮との独占的な貿易を認められていたよ。

でその対馬の宗氏と朝鮮が1609年に結んだ条約が己酉約条というもの。これ、己酉「条約」じゃないから注意ね!

内容は、「朝鮮に日本から行くことが出来るのは将軍と宗氏だけですよ」ということ。

通信使

ところで、己酉約条は内容以上に重要なところがあるんだ。戦国時代に、豊臣秀吉が朝鮮を侵略しにいったの覚えてるかな?文禄の役・慶長の役って言ったよね。

あれ以来朝鮮とは貿易が断絶してたんだけど、この己酉約条でまた貿易が再開されたんだ。

 

実はこの己酉約条が結ばれる4年前の1605年には講和が成立してて、1607年には最初の通信使と呼ばれる人たちが日本にやってきていた。

この通信使は最初から数えて全部で12回(11代将軍の徳川家斉の時代まで)日本に来るんだけど、初めの3回は秀吉のやった文禄の役・慶長の役で日本に連れてこられた朝鮮人の人を連れ戻す役割があったんだ。

 

さて、江戸時代の朝鮮と日本の関係は以上。江戸時代以前の歴史ともつながりが深い内容だから、分からないところは復習しよう!

 

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