豊臣秀吉のまとめ!⑥徳川家康と「小牧長久手の戦い」

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前回は、豊臣秀吉と織田信長の家臣だった柴田勝家の争いについて見てきたね。

清州会議以後対立した秀吉と勝家は、賤ヶ岳で決戦したんだった。

 

その結果秀吉の勝利に終わり、非常に大きな権力を手にすることになった。

 

織田信雄と秀吉の対立

秀吉は、清須会議の時に次期当主として織田秀信(信長の孫)を担ぎ上げたんだけど、この会議のあと秀吉は「秀信が成人するまで、信長の次男だった信雄(のぶかつ)を当主にするわ」と言い出した。

 

しばらくは信雄と秀吉はうまくやってたんだけど、次第に仲が悪くなっていく。

一方で秀吉がどんどん勢力を伸ばしているのを危険視していたのが徳川家康だ。

家康は関東にいたから信長の敵討ちに参加できなかったことで、自分の影響力がどんどん下がっていることを憂いていた。

 

そこで、当時秀吉と敵対していた信雄と手を組んで秀吉と対決する。

これが小牧・長久手の戦いだ。

結果とその後

織田・徳川連合軍と豊臣軍の戦いは、3万対10万で戦力差で言えば圧倒的に豊臣軍の有利。

まず手始めに小牧山城を攻めようとした秀吉だったんだけど、守りが固すぎて全然破れず、逆に返り討ちにされてしまう。

 

「正攻法で徳川軍とやりあったら自分の損害もデカくなってしまう!」と思った秀吉は、本陣ではない、織田・徳川連合軍のほかの陣営を攻撃し始めた。

 

仲間が次々やられていく様を見て、たまらず信雄は講和を申し出る。

これにより徳川軍も軍を引かざるを得ず、戦いは豊臣の勝利に終わった。

 

しかしこれは徳川の負けというわけでもなく、お互いに実力を認め合った戦いともいえる。

 

まとめ

この戦いを経て、さらに勢いに乗った秀吉は、この後も勢力拡大を続けていくことになる。

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