豊臣秀吉のまとめ!⑤清州会議と賤ケ岳の戦い

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前回は、織田信長の敵討ち、山崎の戦いについて見てきたね。

光秀を討つべく200kmもの距離を一気に駆け抜け、わずか10日で駆け付けた。

 

光秀の天下はわずか13日だったという。

 

さて、かくして敵討ちは成功したんだけど、今度は家臣団の中で対立が起こる。

その最初となったのが柴田勝家との争いだ。

 

清須会議とは

本能寺の変によって、信長は自害。

跡を継ぐ予定だった織田家当主の織田信忠も自刃してしまったために、織田信長の跡継ぎをどうするか、さらに信長の領地をどうするかについての会議を開く。

 

これが清州会議だ。

 

ここで秀吉は信長の孫であった織田秀信を織田家の跡継ぎとして掲げ、その側近として秀吉がつくことで権力を大きくした。

さらに領土分配の際も、秀吉は敵討ちの功績から所領が増え、柴田勝家よりも上になった。

 

もちろん勝家は気にくわない。

こうして次第に秀吉との対立を深めていき、バトルに発展する。

賤ケ岳の戦い

まさに織田の家臣団を二分した戦いとなった賤ケ岳の戦い。

秀吉と勝家が対立し始めた当初は軍勢的に勝家の方が上だった。

 

しかし、当時勝家の城付近は大雪で身動きが取れなかった。

そのため秀吉は、勝家側の武将たちを次々攻めて降参させていく。

 

勝家は雪のせいで援軍すら出せない。

 

こうして次第に不利になった勝家は、賤ヶ岳で決戦を挑む。

 

しかし、勝家軍は徐々に内部分裂してしまい戦略ミスも続発。

次第に追い詰められ、最後は勝家の自害で終わる。

まとめ

この戦いを通して、秀吉にとっての目の上のタンコブは消え去ったことになる

天下統一へ大きく前進することになったんだ。

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