『水戸黄門』徳川光圀は大日本史の作成を命じた名君

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前回は江戸前期に生きた名君、池田光正について見てきたね。

 

今回はこの名君シリーズの一環として、徳川光圀について見ていくよ。

 

「光圀」の名前、意外となじみがある人多いかもしれないね。

 

そう、あの有名な時代劇『水戸黄門』で有名なあの黄門様なんだ。

 

徳川光圀って?

徳川光圀は水戸藩の2代藩主。

 

徳川家康にとっては孫にあたる人物だ。

 

この人は儒学をとても重んじていて、藩主時代は寺社の改革に取り組んだり、幕府が殉死の禁を出す前にも独自で殉死を禁止していたりと有能な人物だった。

 

 

徳川光圀の功績

 

そして何と言っても徳川光圀の功績は「大日本史」の作成に着手したこと。

 

大日本史は、神武天皇から後小松天皇の時代までを、とんでもない量の資料をもとにして作られた「日本の歴史書」

 

徳川光圀が始めた「大日本史」の作成事業だけど、光圀が死去してからもこの事業は続いていって、なんと完成したのは明治時代!まさに超大作だね。

 

徳川光圀が大日本史を作ろうと思ったのは、明暦の大火で重要な昔の資料が消失してしまったのを目の当たりにしたからなんだって。

 

明暦の大火自体は非常に悲惨な事件だったけど、ここからまた新しいものがたくさん生まれるきっかけにもなっていたんだね。

 

このほか、古典研究や文化財の保護など、文化に対して積極的な態度をとっていた。

 

 

ちなみに、時代劇の『水戸黄門』で出てくる黄門様は、結構フィクション要素が強い。

本物の徳川光圀は、全国を旅したりしていない(関東すら出てない)し、横暴な代官などをあちこちで懲らしめていたこともないらしい(笑)。

 

でも、「大日本史」を作るにあたって家臣たちを全国には派遣したこと、隠居後に水戸藩内を巡視して回ったことがもとになっているようだね。

 

 

まとめ

 

江戸前期の名君シリーズはいったんこれで終了!次回からはまた大きな歴史の流れを見ていくよ。

 

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