2代将軍・徳川秀忠

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さて。これまで何回かに分けて江戸幕府の職制について見てきたけど、今日からいよいよ江戸時代を見ていくよ!

 

ところで!江戸幕府の将軍と言ったら?・・・真っ先に頭に浮かんだのはやっぱり徳川家康かな。初代将軍だしね。

で、次に将軍職に就いたのは誰だっけ?・・・そう、2代将軍・徳川秀忠だね!って言っても、結構影薄いよねこの人。

しかーし!!結構重要なんだよこの人!幕府の権力をほぼ確立させちゃったんだから。

 

今日はこの人の在職中の出来事についてダイジェストで見ていくよ。

元和令

江戸幕府を創設した人はもちろん徳川家康だね。

でも、実は家康って、将軍職についてたのはたった三年程度だったんだよ(1603~1605)。その代わり引退した後も幕府の実権はずっと持ってて、「大御所」なんて呼ばれてるね。

 

この次に将軍になった秀忠だけど、在職期間は約18年と結構長いんだ(1605~1623)。

秀忠の在職中の1615年に「最初の武家諸法度」が出されて、これは「元和令」って呼ばれているよ。

 

内容で有名なのは「文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムベキ事。(武士なら文武両道はもちろんのこと、弓道や馬術もやっとかなダメよ!)」とか、「諸国ノ居城修補ヲ為スト雖モ、必ズ言上スベシ。況ヤ新儀ノ講営堅ク停止令ムル事。(自分の城を直すときは必ず幕府に言わなきゃダメ。ましてや新しい城なんて建てたら絶対許さん!!)」とかだね。

 

禁中並公家諸法度の制定

秀忠のやったことその2が、この禁中並公家諸法度(1615)。

簡単に言うと、京都にある「朝廷」、それから「公家」を統制するための法なんだ。なんでこんなの出したかというと、「天皇や公家は権力をあんま持たないで!だって幕府が全国を支配したいんだもん☆」って理由。

起草者は武家諸法度のと同じ金地院崇伝で、内容は主に「天皇は学問に専念しなさいよ」だとか、「坊さんに紫衣(栄誉賞みたいなもの)を与えるときはよく吟味しなさいよ」だとかいう感じ。

 

じつはこの禁中並公家諸法度は、このあといろんな出来事と絡まって結構複雑だから次回以降の話で改めて取り上げるね。

 

 

さて。秀忠のやったことダイジェストはこれでおしまい!意外と重要な人物だったよね!

こんな感じで秀忠は法律を制定することで力のある大名達や朝廷・公家を統制して、「幕府の力はものすごいんだぞ!」ということを知らしめていったんだ。

次回は禁中並公家諸法度にまつわるいざこざや事件を詳しく見ていくよ。

 

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