徳川家綱は影の薄い名将軍!?逸話も大公開

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いきなりだけど、徳川将軍を最初から順に言ってみよう!

 

家康、秀忠、家光・・・。

まあ3世代くらいはさすがに大丈夫だよね!

 

問題はここから。

 

「あれ、4代将軍誰だっけ・・・?生類憐みの令出したのは綱吉だけど5代だし・・・。」

 

なんだか前後の将軍のキャラが濃すぎて、ちょっと忘れ去られ気味の4代将軍。

 

そう、徳川家綱(いえつな)だね。

 

 

確かに大きく歴史を動かすようなことはしていないんだけど、実は徳川家をより強固にした「名君」だとも言われているんだ。

 

今回は、家綱がやったことをざっくり見ていくとともに、面白い逸話なんかも紹介していくよ。

 

 

家綱の行った主な政策

 

家光の時代までは、言ってみれば「力で押さえつける」政治だった。

おまけに、「逆らったヤツはクビ!」と、改易やお家断絶などめちゃくちゃ厳しい対応をしてきたんだ。

 

だけど、こういう強硬的な態度の政治には必ず不満を訴える人が出てくる。

 

実際に、大名が処分されたことで生まれた多数の牢人(浮浪人)が生まれてしまい、この牢人たちが不満を爆発させたのが「由井(比)正雪の乱」というわけだ。

 

この由井正雪の乱についてはまた次回詳しく見ていくね。

 

 

家綱は、こういった武力による政治「武断政治」から、法律や決まり事にのっとって政治を行う「文治政治」への転換を行ったんだ。

 

 

このほか、「殉死」を禁止したこともこの将軍の有能さを示している。

 

影は薄くて地味なんだけど、本当はすごく重要な役割を担っている将軍なんだよ!

 

家綱の逸話

 

 

家綱は幼少期、「竹千代」と呼ばれていた。

 

ある日、部下たちに「『流罪(島流し)』になった人たちはどういった生活をしているのだ?」と聞くと、この問いに誰も答えることができなかった。

 

というのも、流刑は死刑の次に思い罰だったから、ぶっちゃけ役人にとっては死刑も流刑も変わらなかったんだ。

 

しかしここで家綱はこう思った。「せっかく死刑じゃなく流刑にしたのに、その生活が保障されなければ死刑と変わらないじゃないか。そんなのはおかしい!」

 

 

これを聴きつけた父・家光は自分の子の成長に大歓喜。

「これを家綱の最初の仕事としよう」と言って、すぐに流刑になった罪人たちのもとへ食料などが届けられるようになり、罪人たちの待遇が改善したんだ。

 

 

まとめ

 

影が薄いだの地味だの言われている家綱だけど、実はすごい有能な人だったってことが分かったね。

 

次回からは家綱が行った政治を詳しく見ていくよ。

 

 

 

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