天皇機関説問題と国体明徴声明とは? わかりやすく。岡田内閣

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こんかいみていく天皇機関説問題と国体明徴声明なんだけど、天皇機関説の批判に対して岡田内閣のとった国体明徴声明というかわしかたがなかなか面白い。

 

逃げるが勝ちという言葉もあるけれど、絶対に敵わないなという相手とは無理をして戦わない方がいい。

もちろん、どうしても譲れないところは命を懸けて戦うだろう。でも、本質的ではないところを批判されたら「そうだね!あはは」といって荒波をたてないでおく。そして自分自身の問題(自分にできること)に専念するのが大人の対応というものだ。

 

それじゃあ、本題にはいろうか。

 

 

 

1930年代のはじめ、満州事変を直接のきっかけに、日本を中心として他国をもっと支配していこうとする考え方が強くなっていった。

現状打破!を叫ぶ革新運動が盛り上がっていったんだ。

 

このようなときに首相となったのは

岡田啓介(おかだけいすけ)。

 

岡田内閣は1934年に発足した。

 

岡田内閣時に問題となったのは、

天皇機関説問題(てんのうきかんせつもんだい)!

 

天皇機関説とは、ものすごく簡単にいえば、「天皇に絶対的な権利はないよ」「政治にあまり口は出せないよ(憲法に従って統治権を行使するよ)」というもの。

近代的な政治を行うにはとても大切な考え方だね。

この天皇機関説はいままでの政治、現状維持勢力が認めてきた学説なんだ。

すなわち、陸軍が攻撃したい勢力が認めてきたことなんだ。

だから、この天皇機関説を批判して「けしからん学説だ!こんなことを考えている人間は政治をやっちゃだめだ」という空気をつくれば陸軍に都合の悪い人間を政治から追い出すことができる。

 

そこで陸軍が天皇機関説を批判し始めるんだ。

これが天皇機関説問題。

 

で、攻撃されたのは岡田内閣。

軍部は現在の内閣には納得がいかなかった。もっと積極的に他国を支配したかったんだ。

 

だから岡田内閣を攻撃して、現状維持勢力を一掃しようと思った。

 

 

ここで岡田内閣のとった行動は、反撃することではない。

「実は私たちもそう思っていたんですよ。いやはや天皇機関説っていうのはけしからんですなあ。」

と相手に同調して批判をかわすことだった。

 

それが国体明徴声明(こくたいめいちょうせいめい)!

出されたのは1935年ね。

 

これで天皇の絶対的な主権を政府は認めてしまったことになる。

 

もちろん歴史からみれば大きなできごとだけれど、岡田内閣はこうせざるをえなかったんじゃないかな。

陸軍の力はとても大きいくて抵抗することはできなかっただろう。

 

もともとは岡田内閣の勢力を潰すための天皇機関説問題だったわけだし、国体明徴声明はそのときはわるくない選択だったんじゃないかな。

 

 

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