縄文時代の竪穴住居と関連遺跡!三内丸山遺跡とは?

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旧石器時代に生きた人々の住居は、「テント式住居」であったことは以前の記事で見てきたよね。

 

縄文時代になると、生活文化の変化とともに住居も新しい形態となった。

今回は、そんな縄文時代の新しい住居について見ていこう。

竪穴住居ってなんだ?

竪穴住居は、実は旧石器時代の末期あたりからちらほら作られ始めていた。

それが縄文時代になると各地に広まっていった。

 

竪穴住居とは、地面を50センチくらい掘ってその穴の上に屋根を葺いたタイプの住居。

なんでわざわざ地面を掘るの、と思った人もいるんじゃないかな?

 

現代の感覚だと「普通に地面に建てればよくない?」と思えてしまう。

 

しかし、地表に家を建てようとすると、柱や壁・高所の屋根などたくさんの材料や労力、そしてある程度の時間が必要になる。

これに対して竪穴住居は、穴を掘ってしまえば壁や柱などの材料はほとんど必要ない。

屋根も地表すぐのところに葺くから高所での作業も不要。

 

時間もそこまでかからないから非常に効率的なわけだ。

 

縄文時代の人々にとってはこれがベストな住居だったんだ。

 

加えて、土には断熱機能があって、「夏は涼しく冬は暖かい」という特徴も持っている。

非常に住みやすいというわけだ。

 

この性質を縄文人たちも理解していて、食べ物を貯蔵しておく穴なんかも作られた。

竪穴住居が見られた代表的遺跡

縄文時代の前期から中期までと、非常に長い期間(なんと1500年くらい)存在し続けていたという巨大遺跡が青森県にある。

 

その名も三内丸山遺跡。

 

多数の竪穴住居が発見され、中には超巨大な木の柱で作った掘立柱建物(画像は復元されたもの)の遺跡があったり土器や土偶が大量に発掘されたりと貴重な遺跡だ。

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