浄瑠璃作者・竹田出雲(二代目)の『仮名手本忠臣蔵』とは?

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前回まで、宝暦・天明文化期の“俳句・川柳”について見てきたね。

松尾芭蕉以降落ち目だった俳諧を再び盛り上げた与謝蕪村や、川柳を生み出した柄井川柳がいたよね。

 

さて。今回は芸能分野だ。

浄瑠璃作者として大きな注目を集めたのが、竹田出雲(二代目)だ。

浄瑠璃作者・竹田出雲(二代目)とは?

竹田出雲の初代は、浄瑠璃の舞台で大活躍した竹本義太夫や、浄瑠璃作者のレジェンド近松門左衛門と関係がある。

竹田出雲初代は、引退していた浄瑠璃語り・竹本義太夫を舞台に戻し、義太夫がオーナーだった浄瑠璃の劇場・竹本座を譲り受ける。

さらに浄瑠璃作者である近松門左衛門と協力して上演した『国姓爺合戦』が記録的大ヒットを飛ばす。

 

その後は浄瑠璃について、近松門左衛門に学んだ。

 

そんな初代の息子が竹田出雲(二代目)だ。

初代が死んだあと襲名し、竹本座を引き継ぐ。

 

この竹田出雲(二代目)の時代に生まれた名作が、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』だ。

仮名手本忠臣蔵ってどんな話?

仮名手本忠臣蔵は、実際に起きた「赤穂事件」をもとに作られたお話。

赤穂事件は、こんな事件だよ。

江戸城松の廊下で吉良上野介に切りつけた浅野内匠頭は切腹、浅野家はお取り潰しとなる。(吉良は浅野にいじめをしていた、という説もある。)

その家臣大石内蔵助たちは吉良を主君内匠頭の仇とし、最後は四十七人で本所の吉良邸に討入り吉良を討ち、内匠頭の墓所泉岳寺へと引き揚げる。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%89%AF%E7%BE%A9%E5%A4%AE

このストーリーを大幅に広げて作られたのが仮名手本忠臣蔵。

 

もともとの事件がドラマチックだっただけに、浄瑠璃化しても大人気。

現在でもたびたび『忠臣蔵』はドラマ化しているよね。

まとめ

竹田出雲(二代目)は、『仮名手本忠臣蔵』で大ヒットをするんだけど、その後の作品はあまり人気が出なかったという。

その後浄瑠璃より歌舞伎のほうが人気になってしまい、竹田出雲は三代目で終了してしまう。

 

 

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