伊能忠敬が師事した高橋至時(よしとき)って?

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前回は、伊能忠敬と彼が作った『大日本沿海輿地全図』について見てきたよね。

忠敬が全国を自分の足で回り、さらに天体観測を組み合わせたことで非常に詳細な地図が生まれたんだったよね。

 

今回見ていくのは、忠敬が師として仰いだ天文学者・高橋至時(よしとき)について見て行くよ。

 

至時なくして『大日本沿海輿地全図』なし?

高橋至時は、幼いころから算学(数学)とても興味があった。

大きくなってからは算学のほかに暦学(天文学)を学び始める。

ところで、当時使われていた暦は「宝暦暦」という暦だったんだけど、これが結構精度の悪い作りだった。

これを改暦したいという思いを持ち始めた至時は、西洋の非常に難しい理論を必死に勉強し始める。

この結果、当時の日本の天文学者の中では頭一つ抜けた知識を持つようになった。

 

やがて至時は改暦を達成し、「寛政暦」という新しい暦を作成、これは非常に精度の高い暦となった。

西洋の技術を取り入れた画期的な暦だった。

 

このようないわば「天文学のスペシャリスト」のもとで伊能忠敬は様々な勉強をしたんだ。

特に忠敬は天文学の習得に精力的で、至時は忠敬のことを「推歩先生(暦学先生という意味)」と呼んだという。

 

その後忠敬が測量を始めてからも、何かトラブルがあったらアドバイスをしてあげていたという。

まとめ

伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』は忠敬の優れた天文知識によるものが大きかったけど、その天文学を教えていたのは高橋至時だった。

 

まさに至時なくして『大日本沿海輿地全図』なし、と言えるね。

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