台湾総督府とは一体なに?初代総督はあの樺山資紀(かばやますけのり)

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あーあ、遼東半島返しちゃったねー。うぜー、三国干渉マジうぜー!!と日本史を大学受験に選んだ愛国心たっぷりの君ならそう考えているはずだ。

え?そんなこと無いって??

バカヤロー!俺らは日本史を勉強しているんだから、まずは日本を愛すことだろ?好きでもないことを理解しようなんてできないじゃないか?

大好きなあの娘のことだって、大好きだから何だって知りたくなるんだろ!そうだろ?それくらいの気持ちで勉強しなきゃ失格だよ!!出直してこい!

まずは愛そうよ。日本史を。

そう台湾が日本を愛しているようにね♡ というわけで、日清戦争で割譲してもらった台湾について今日は見ていこう。

台湾総督府とは一体・・・

日清戦争後の下関条約で植民地にした場所。それが台湾だね。

台湾ってのはへ、実はそれまですんごい貧困だったんだよ。経済も全然発展していないし、子供の教育も全然整備されていなかったわけ。

 

日本は台湾を統治するために、海軍大将の樺山資紀をまず台湾総督に任命したの。

でもさ、台湾からしたらいきなり日本みたいな訳のわからないが、

「これから俺ら日本がお前ら台湾を統治するんで!そこんとこよろしく!」

なんて言いにいったってさ、台湾しては困るじゃん。だから、台湾は台湾で「台湾民主国なんで」って宣言し始めたわけ。台湾ってのは1885年に清国の1つの省として、台湾省になったって歴史も頭に入れておくと良いかもね。

結局、「台湾民主国」って宣言しようが何だろうが、台湾弱いじゃん。日本軍に征討されまして、強硬突破で台湾総督府を置かれたよね。

日本の統治への抵抗運動はその後も度々起こるけど、都度日本軍が鎮圧したの。

台湾総督府ってのは、警察制度、米、砂糖、塩などの産業育成や皇民化政策を行ったね。日本語も使わせたし。

つまり、台湾の経済を発展させていったわけ。かなりの予算を使って台湾を発展させていったわけよ。用語集にも1用語で書かれているけど、その中でも八田與一(はつたよいち)って方は、台湾統治時代にめちゃくちゃでかい烏山頭ダム(うさんとう)ダムを建設してねー。水回りの政策には尽力を注いだんだよ。

台湾で八田與一のことを知らない人はいない!ってほど、命がけでダムを作った人でね。

もちろん抗日武装闘争なんかして、日本に反対している人もたくさんいるけど、自分らを発展させてくれた!ってことで日本人が大好きな台湾人もたくさんいたらしい。

この頃から親日の台湾人ってのは割と増えていったわけ。

 

 

後藤新平が旧慣尊重の方針

話は少し戻るけど、台湾総督府が置かれたばかりは反発の声も結構あったわけ。

そりゃそうさ。いきなり統治されちゃ困っちゃうもんね。

そこで第4代目台湾総督府の児玉源太郎の本で、民生局長をつとめた後藤新平なんかは、

『台湾の旧慣習を大事にしながら徐々に同化させていこう』

ってことで、旧慣尊重方針を取ったわけね。彼が民生局長を務めたのは8年間だけど、アヘンの課税を強化して、麻薬を追い出したり、専売化したり、植民地経営をうまくやり遂げていった人なんだよ。

 

児玉源太郎も後藤新平も後の日露戦争や満鉄で活躍するから名前知ってるでしょ?

こういった軍人だったり役人はこういったところで経験を積んで、後々活躍したわけよ。

この後藤新平のおかげで初期の台湾統治と比べると、植民地支配はだいぶ安定したものになったね。台湾の統治は第二次世界大戦で日本が負けるまで続くよ。

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