豊臣秀吉の行った「太閤検地」とは?わかりやすく。【後編】

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前回は、太閤検地が行われた理由について見てきたよね。

簡単に言えば、「年貢収入の最大化」だった。

 

後編では、実際に秀吉が行った検地について見ていくよ。

 

升を統一!

まず弊害の一つとして、米の計量に使う升のサイズが大名ごとに違うということがあったね。

秀吉は「バラバラだと分かりにくいから一つに絞ろうや」と服属した大名たちに命じる。

 

京都付近で使用されていた升を公式の升として決定して、全国でこれを使うようにした。

ここから「京升」と呼ばれるようになる。

一地一作人という制度

検地に当たってもう一つ弊害だったのは、複雑な土地の利権関係だ。

これをすっきりさせるべく、秀吉は「一地一作人」という制度をしいた。

 

一つの区画に対して一人の耕作者(畑耕す人)を決める。

この人から直接年貢を徴収することで、ごちゃごちゃした土地の利権関係をすべてリセット、すっきりさせることにした。

検地帳の作成

一地一作人の制度により土地の利権関係をすっきりさせたのはいいけど、その人物と田んぼの登録を行わないとしっかり管理できないよね。

というわけで、土地の面積や等級、石高、耕作者などを詳細に記載した台帳を作った。

 

これが検地帳だ。

 

まとめ

秀吉は、土地の利権関係をシンプル化したうえでしっかり名簿に登録することで、「どれくらいの年貢が見込めるか」や、年貢の取りこぼしをなくすことに成功したんだ。

 

次回は、田んぼの等級について見ていくよ。

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