1901年、社会民主党の結成とは?

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平等というのはとても難しい。

まず努力した人と努力しない人とが「平等」に同じ報酬をもらったら多くの人が「不平等」と思うだろう。

とはいっても、生まれてからすべての人が努力できる環境を与えられてきたわけではない。

 

小さいころから、家事や仕事しなければならないし、勉強する暇もなかったかもしれない。

努力したにもかかわらず親や周りの大人に否定されて、うまく努力することができなくなってしまったかもしれない。

 

環境に恵まれた人たちはこんな些細なこと、と思ってしまうけれど、生まれたときの家庭環境などで人生は全く違ったものになってしまう。

こう考えると、生まれてからの生活環境が不平等であったことが努力の差の原因であるかもしれない。

もちろん、報酬そのものを平等にしたからって根本的な改善にはならない。

でも、努力の差だけで報酬の差を決めるのも平等であるとはいいきれないだろう。

 

今回見ていくのは社会主義について。

日本ではどのように受容されて、1901年に社会民主党が結成するまでになったのかみてみよう。

 

社会主義とは?ヘーゲルからマルクスへ

 

まず社会主義ってどんな思想かというと、これから労働者が統治する政府が訪れるというもの。

 

社会主義っていうのはマルクスというドイツ人が考えたんだけど、もとにしたのはヘーゲルの主人と奴隷の弁証法。

この「主人と奴隷」を「資本家と労働者」に言い換えたんだ。

 

主人と奴隷だったら、もちろん主人の方が偉いよね。それは当然だ。

力によって相手の命を奪おうとした主人と、死を恐れて相手に屈した奴隷。

奴隷はたいしたお金をもらえず労働をさせられて農作物や手工業を主人のためにやらされるんだ。

主人はその間、享楽に耽ることができる。

 

でもここで逆転が起こるんだ!

たとえば農業であったら目の前にある穀物を食べないで我慢する必要がある。

なぜならそれ(麦や米)は種でもあるからだ。

次の年の食糧のために奴隷は現在の享楽(食事)を我慢して、来年の植え込みまで種を保存して耐え忍ばなければならない。

こうやって奴隷は静かに耐え忍び、目標を成し遂げるための強さを得ていく。

 

さらに農業の技術は奴隷のみが知るようになる。

いつ種を植えるのか、いつ収穫するのか、どうすれば実りがよくなるのか、など。

こういったことは長年の経験を要するし、簡単に伝えられるものではない。

 

そうすると、主人は奴隷なしでは生きることができなってしまうんだ。

奴隷しか作ることのできない農作物やモノがなければ生活することができない。

主人は奴隷に依存してしまう。

 

さらに奴隷が主人に支配されたのは死を恐れていたからだ。

主人は真面目に死を考えなかったから、対決に勝てただけ。

奴隷は死について真面目に考え、複雑な思考を養うようになる。

 

こうして支配しているはずの主人が奴隷に依存し、思考や忍耐力で奴隷に負けてしまう。

こうした矛盾(主人が支配しているのに劣っている)が乗り越えられて(これを弁証法というよ)奴隷が主人となる。

 

これがヘーゲルの『精神現象学』に書いてあるものすごく簡単で我田引水な主人と奴隷の説明(『精神現象学』はとても奇怪な本だからこんな説明で許して欲しい。)。

マルクスはこの「主人と奴隷」の関係を「資本家と労働者」の関係に重ね合わせたんだ。

 

つまり、資本主義によって資本家と労働者の格差がひろがって労働者がとても不遇な扱いをされるようになってしまったけれど、

やがて労働者が資本家に勝るようになり、労働者による統治がおとずれる!と考えたんだ。

 

ここで注意しなければならないのは、この社会主義的な考えは「理論」であることだ。

もちろんそういった要素はあったにしろ、決して「奴隷が可哀相だからいろんな法律をつくって保護しないといけない」という考えではない!!

ただ「労働者の方が勝るようになって、労働者による統治がおこる」というもの。

 

労働運動の発展。治安警察法と工場法

 

日本も明治の中頃から資本主義が発展してきた。

家族内の自営業ではなく、お金をもったものが工場をつくり、労働者を雇って働かせる。

家業を継げるのは長男くらいだったから、次男・三男や女性が労働者として働き始めたんだ。

 

しかし、その労働環境はとても劣悪だった。

一日13~17時間働かされ、休みは月2回程度、賃金も一日働いて現在の3000円程度しかもらえなかったんだ。

そして寄宿舎も酷く、とても人が住むべき場所ではなかったんだ。

 

とはいっても、労働者はこの環境を受け入れてしまっていた。現在では信じられないかもしれないけど、

長男に生まれなかったから、男性に生まれなかったから、こんな生活をするのは当然だと考えていたんだ。

 

しかし、日清戦争後、労働者が自らの権利を自覚し始めるんだ。

労働者の労働環境を改善しようと、労働運動を指導したのは、

高野房太郎(たかのふさたろう)!!!

 

アメリカで労働運動を学んで、

片山潜(かたやません)

と一緒に

労働組合期成会(ろうどうくみあいきせいかい)

を結成したよ!

 

このようにして、労働者の労働環境を改善しようという運動がどんどん広がっていったんだけど、

ストライキや抗議運動がたくさん起こってしまったら、経済が回らない。

 

ここで政府は

治安警察法(ちあんけいさつほう)

を制定したよ。

年号は1900年。

 

これによって労働運動の弾圧や女子の政治参加を制限したよ。

 

とはいってももちろん政府はこのままの労働環境ではいいと思っていなかったんだ。

いざとなったら戦争の人材となる人たちが不健康ではだめだしね。

でも政府は資本家と結びついているから、なかなか労働者を保護する法律を制定できなかったんだ。

 

結局1911年に

工場法(こうじょうほう)

が公布された。

でも資本家の反対にあって施行されたのは1916年。

それに不十分な点が多く、労働環境が大きく改善されることはなかったよ。

 

 

1901年、社会民主党の結成!

 

労働運動をしていくなかで、資本家や政府を説得していくための理論が必要となってくる。

現在ではすべてのひとが平等に生きる権利をもっていることが常識(とはいってもホームレスを公園から平気で排除したり、生活保護にたいする厳しい目はあるものの)だから理解しにくいかもしれないけれど、

どうして労働者が余暇を楽しんだり、正当な賃金をもらったりしなければならないかを、説明しないといけない時代だったんだ。

 

 

そこで労働運動の理論的役割として社会主義的な思想が芽生えてくるんだ。

現在の資本主義が克服されて労働者による統治がおこる!と。

 

そこで結成されたが社会主義研究会(しゃかいしゅぎけんきゅうかい)。

年号は1898年。

労働運動を指導した片山潜(かたやません)や

安部磯雄(あべいそお)

を中心としてつくられたよ。

 

そして、1900年に社会主義研究会は実践的立場をとるために社会主義協会(しゃかいしゅぎきょうかい)に改称したよ。

中心人物は

幸徳秋水(こうとくしょうすい)

安部磯雄(あべいそお)、片山潜(かたやません)ね。

 

 

このように社会主義の理論のために結成された社旗主義研究会、社会主義協会だったけれど、

社会主義的理論よりもキリスト教的人道主義の傾向が強かったよ。

中心人物の多くがキリスト教と深く関わりがあっただからね。

 

 

この社会主義協会を母体としてできたのが

社会民主党(しゃかいみんしゅとう)!!

年号は1901年。

日本最初の社会主義政党ね。

 

中心人物は

木下尚江(きのしたなおえ)

と、もちろん

幸徳秋水(こうとくしょうすい)、安部磯雄(あべいそお)、片山潜(かたやません)。

 

でも社会民主党は2日後に結社を禁止されてしまったんだ。

 

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