住吉如慶は土佐派から独立して住吉派を作った!

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前回は、土佐派を復活させた土佐光起について見てきたね。

中国の絵画をはじめとした様々な絵画を習得し、その要素を伝統的な土佐派の大和絵に組み込むことで新しい土佐派を生み出したんだったね。

 

今回見ていくのは、朝廷絵師としての土佐派に対して、幕府の絵師となる「住吉派」の話だ。

住吉派の誕生

住吉派の祖と言われる住吉如慶(じょけい)は、もともと土佐光由という土佐派の画家の弟子だった。

その後は土佐光則(土佐光起のお父さん)のもとで絵画(大和絵)を学んだ。

 

その後、光則は光起と共に京都に残り、如慶は関東地方で日光東照宮に収められる絵画を描いていた。

60歳ごろになって、如慶は土佐派から独立、住吉派を打ち立てる。

 

日光東照宮に収める絵画を描いていたことからコネができて、住吉派は幕府の御用絵師として幕府に使えることになる。

息子の住吉具慶は住吉派をさらに拡大

如慶の息子である住吉具慶は、父親の作風を受け継いで住吉家をさらに発展させようと尽力した。

 

徒然草を題材にした絵巻や、如慶が生前完成させられなかった「東照宮縁起絵巻」を完成させたことで4代将軍の家綱から褒美を与えられるまでに。

 

その後幕府の御用絵師として取り立てられると、住吉家がこの役職を世襲していくことになった。

まとめ

如慶、具慶の活躍により、住吉派は一番の盛り上がりを見せる。

 

しかし、具慶以降「オリジナリティ」がなくなってしまい、時代とともに衰退していってしまう。

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