枢密院とは大日本帝国憲法の草案のために設置されたものだ!

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さて、伊藤博文は憲法草案のために枢密院を設置するよ。

1882年からヨーロッパに憲法の視察に行って、シュタインやグナイストに憲政を教えてもらい、ロエスレルや井上毅と憲法の草案を作成し、いよいよ憲法が完成するぞ!

というところまできましたねー。枢密院は大日本帝国憲法が発布される前年に設置されたもので、役割を覚えて欲しいからしっかりまとめておこう。

枢密院とは?

1888年に明治憲法草案審議のために設置されたもの!

憲法制定後は天皇の最高諮問機関!

ですね。

まずね、伊藤博文は井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎と憲法の草案を作ってたじゃん。

これってみんなにバレないように、ひっそりと憲法の草案を作っていたのね。だって、世間は自由民権運動で自由を求める人々によって、勝手に私擬憲法なるものも作られてたじゃん?

政府からしたら、

「何、勝手に憲法の案なんて作ってくれちゃってんの?お前らの意見なんて気かねー。政府独自で作るから口出しすんなよ!」

ってね。

だから、自由民権運動家に見つからないようにコソコソと憲法の草案を作っていたわけ。

やっとこさ、1888年に完成してさ。下書きが。

この下書きがオッケーかどうかを調べるために、枢密院ってのを設置したわけなんですよね。

枢密院では、憲法の下書きの他にも皇室典範も審議したんだよ。皇室典範ってのは皇室の守りごとね。

 

大日本帝国憲法発布の後は

枢密院は大日本帝国憲法が発布されたら、もういらないじゃん!

って思うよね。でも、そのまま残して、役割を変えていったの。

 

これは大日本帝国憲法56条に定義されているんんだけど。

天皇が、「これってどーゆーこと?」って、重要な国務に関して疑問に思った時に、詳しい人を集めてさ。審議しましょう!!という場になったのね。

これを諮問機関って言うよ。ようするに天皇が政治について相談する場所ってことだね。

枢密院ってのは、ご相談にお答えする機関だから政府とは独立した機関なわけだね。

1927年 台湾銀行救済の緊急勅令案否決
1930年 ロンドン海軍軍縮条約の統帥権干犯問題

この2つは用語集に載っているから枢密院が機能した例として覚えておいても良いかもね。

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