弥生時代の水稲耕作(すいとうこうさく)の様子って?【前編】

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「弥生時代」の持つ大きな特徴の一つとして、“稲作”があることは前回話したよね。

稲作といえば、現代でも行われている農業のひとつだけど、今と昔でやりかたは同じだったのかな?

 

今回は弥生時代の水稲耕作について見ていくよ。

 

弥生時代初期の田んぼは現代のものと違った!?

実は、弥生時代の前半は「湿田(しつでん)」というもので、現在の「乾田(かんでん)」とは異なるタイプの田んぼだった。

 

この湿田というのは「常に水がたまっている=水が抜けない田んぼ」のこと。

 

なぜ現代では湿田ではなく乾田による稲作が行われているのかというと、“水が抜けない”というのはコメにとって非常によろしくないからだ。

 

まずは現在の「乾田」を用いた稲作のやり方を見ていこう。

乾田

農村体験なんかで学習したことがあるかもしれないけど、苗を植えるときは水が張った田んぼに植えるよね。

そのあと夏ごろになったら、一度水を抜いて土を乾かす。ここで新鮮な空気を土に入れることで稲を元気にするんだ。

 

収穫時期が近くなって稲穂が固くなってきたら、再び水を抜く。そして稲穂が黄色くなったところで収穫だ。

 

このように、水を適切なタイミングで抜くことでコメが非常に良く生長し、生産性が高まるんだ。

これが、乾田のしくみ。

湿田

これに対し湿田は、さっきも言った通り排水ができない田んぼ。

夏の時期に水を抜いて空気を土に入れることができないし、収穫時期にも水が抜けないから総じて稲が生長しにくい。

生産性が低くなってしまうんだ。

 

じゃあなんで最初から乾田を使わなかったのか?

 

それは、灌漑(かんがい)設備が必要だから。

灌漑設備っていうのは要するに人工的に給水(および排水)を行える設備のことだ。

 

具体的には、川とかから水路を引っ張ってきて、土を乾かしたいときは堰(せき)なんかを使って水を止めたりする。

 

この灌漑設備ができればもうほとんど現在のような超高パフォーマンスの稲作ができるんだけど、弥生時代の最初のころは稲作を始めたばっかりで、このような設備が技術的に作れなかったんだ。

 

だから、湿田で頑張るしかなかった。

 

もちろん収穫量は多くないから、足りない食料はどんぐりなど山の幸で対応していたといわれている。

 

乾田が登場するのは、弥生時代後期になってからだ。

【後編に続く】

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