グナイストとシュタインから伊藤博文は憲政を学ぶ。

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さて、これからどんどん立憲政治が始まるよ!

明治維新 → 自由民権運動 → 立憲政治

この3つの流れが明治時代の一大政治イベントだね!でもって、これを暗記していくのが大変なわけだけど、流れをしっかりと理解していきながら、覚えていこうよ。今日はシュタインとグナイストだぜ!

シュタインとグナイスト

大久保利通が亡くなったのは1878年のことだよね。

この1878年以降に政権の実権を握ったのは、伊藤博文なわけでして、1881年には明治十四年の政変で大隈重信を追い出しているわけでして。

 

そんな伊藤博文は、1881年に国会開設の勅諭でもって10年後に国会を開くことを約束しているからさ。

その国会開設に向けて、いろいろと整備していかないといけないわけ。

ここまでが復習ね。日本史ってちょっと離れるとすぐに忘れちゃうから過去記事何度も読んどいてよ。10回くらい読めば覚えるから。

でもって!

伊藤博文は1882年にドイツに行って、シュタイン先生とグナイスト先生に憲政や行政を学ぶのね。

こいつら見分けつきづらいから、分けて覚えよう。

 

シュタイン

ウィーン大学教授、プロイセン憲法について教えてくれる。

 

グナイスト

ベルリン大学教授、憲政の運用について教えてくれる。
俺が、高校生の時に日本史の先生に教わった覚え方は、

アイウィシュベリーグッド

だね。

ウィッシュ= ウィーンのシュタイン
ベリーグッド= ベルリンのグナイスト

伊藤博文は結局、ヨーロッパの国々に1年以上滞在して、ドイツ、オーストリア、ベルギー、イギリスと憲法の勉強をしてくるんだよ。

伊藤博文はにドイツで、シュタインとグナイストに憲法について教えてもらうだけども、ドイツの憲法ってのは君主権が強かったのね。

 

伊藤博文は天皇を中心として中央集権国家を作りたかったからドイツのプロイセン憲法は日本に適していたわけなんだよね。

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