紫衣事件!“たくあん”の生みの親が・・・

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前回は「意外と重要」、徳川秀忠について話したね。武家諸法度(元和令)の制定、それから禁中並公家諸法度の制定だったね。

どちらも「幕府の権力を確立する」ための大きな足掛かりとなった!

 

ところで前回、「禁中並公家諸法度はいろいろな出来事と絡まりあってる」って話をしたよね。これが今回のタイトル「紫衣事件」なわけだ!

この事件を考えるカギは、禁中並公家諸法度の「紫衣の寺、住持職、先規稀有の事也。近年猥りに勅許の事・・・(紫衣を与えられる坊さんはかつてはとっても少なくて貴重だったのに、最近はポンポン紫衣あげちゃってんじゃん!もっと吟味せい!!)」って条文だ!

さあ見ていこう。

武家伝奏・議奏

まず本題に入る前に、幕府の朝廷・公家統制についてもうちょい見てみよう。

幕府は禁中並公家諸法度、あと前に江戸幕府の職制で触れた「京都所司代」による監視、そしてこの2つに加えて「武家伝奏」があるんだ。

 

武家伝奏は公家から2人選ばれる。職務内容はザックリいうと幕府・京都所司代と朝廷とを結ぶパイプみたいな役割。

例えば、朝廷や公家が「お出かけしたい!」と思ったらまず武家伝奏に伝えて、今度は武家伝奏が京都所司代に伺いを立てて許可をもらう・・・みたいな感じ。

後々この武家伝奏の仕事が多くなりすぎちゃったから、補佐役の「議奏」という役職もできたよ。

 

秀忠の娘・和子

朝廷統制のもうひと押し!ってことで行われたのが、「秀忠の娘を天皇の妻にする」という荒業。

幕府側の人間が天皇と家族になっちゃえば、幕府の意向も通しやすくなるって考えたんだね。

 

で、秀忠の娘である「徳川和子」を時の天皇「後水尾天皇」に嫁がせたんだ。これで朝廷統制をさらに強化したよ。

 

 

紫衣事件

さて、本題の紫衣事件。これどういう事件だったか結果を先に言っちゃうと、「幕府の許可なくお坊さんに与えられた紫衣は全部剥奪だ!」っていう事件。「そんな大事か・・・?」って思うよね。でもこれ、重要です。

 

1627年、幕府が「大徳寺・妙心寺は紫衣もらいまくってるから禁中並公家諸法度違反!」と言って大徳寺と妙心寺を叱ったのね。これに対して怒ったのが、大徳寺の「沢庵」率いる数人のお坊さんたち。

このお坊さんたちは抗議し続けたんだけど、結局1629年に沢庵さんたちは島流しにされて、おまけに幕府は今まで幕府の許可取らずに与えられた紫衣は全部無効だから!剥奪だっ!」ってことになっちゃった。

 

これがどんな重要な意味を持つの?答えは、「天皇より幕府の規則ほうが上だぞ!」って知らしめたこと。こうすることで朝廷をさらに強く統制することに成功したんだ。

 

ところでタイトルにあった「たくあんの生みの親」っていうのが、この紫衣事件に出てきた「沢庵」ってお坊さん(笑)

でもたくあんの名前の由来はいくつかあるみたいだから絶対そうとは言えないけどね!

 

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