渋川春海(安井算哲)と関孝和は暦制作のライバルだった?

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前回・前々回で、関孝和と渋川春海について見てきたよね。

 

実は、この二人には「暦づくり」においてライバル関係にあったんだ(実際に二人は出会ってないけど)。

詳しく見ていこう。

関孝和と暦制作バトル!

春海は21歳の時、中国からもたらされた暦を改良して日本に適した暦を作ろうとし、中国の暦を改良した「受時暦改暦」というものを生み出す。

だけどこれは失敗してしまう。

 

そこで、32歳の時から夜空を毎日観察して全く新しい暦を作ろうと奮闘し始める。

 

一方、数学の天才・関孝和も暦づくりを本格化させていた。

 

孝和は「江戸のお坊ちゃん」である春海と違って田舎に住み・独学で勉強してきた苦労人だ。

一体どちらが暦を完成させるのか。

 

暦の作り方の違いと勝敗

二人の暦制作の方法は対照的だった。

 

春海は、ひたすら観測データを集めて中国の暦と照らし合わせていくスタイルをとった。

一方孝和は、中国の文献から暦について一から徹底的に勉強、暦の理論を全てマスターしてから暦を作るスタイル。

 

行ってみれば、春海は中国の暦を日本用にチューンナップしようとしたもので、孝和の暦は中国の暦理論をもとにしながらも完全オリジナルの暦を作ろうとしたもの。

 

ここから分かるように、孝和の方法は非常に時間がかかる。

膨大な資料を読んで理論を理解しなくてはいけないからね。実に数学者っぽいやり方だ。

 

一方春海の方もデータ収集に時間はかかるけど、中国の暦を修正するスタイルだから孝和ほど時間はかからない。

おまけに幕府にもコネがあったから、できた暦を幕府に通すのも早かった。

 

孝和の暦制作もクライマックス、ってところで春海の貞享暦が幕府に採用されてしまった。

 

孝和は道半ばにして暦制作を断念する。

まとめ

孝和は暦づくりでは春海に負けてしまったけれど、その過程でいろいろな功績を生み出した。

円周率の近似値も暦つくりから生まれたものだし、孝和の作ろうとした暦とその理論は後々新たな暦を作る際に参考にされる。

 

春海よりも孝和のほうが暦に対する知識、理解が深かったといわれているよ。

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