将軍継嗣問題からわかる!井伊直弼のポジションと政治。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

井伊直弼が日米修好通商条約を孝明天皇の勅許がない状態で勝手に調印したのはもう知ってるよな?

井伊直弼って安政の大獄も行った人物だけども、将軍継嗣問題にも大きく影響を及ぼしているわけ。このあたりの政治的背景を深く理解しとくと、将軍継嗣問題も理解が深まるよ。

南紀派~とか、一橋派~とか、暗記してるだけだと結構キツイしさ。今日はじっくり見てみようか。

将軍継嗣問題とは?

まず、将軍継嗣問題ね。

13代将軍、徳川家定(いえさだ)には子供がいなかったの。

12代将軍、徳川家慶(いえよし)には27人も子供がいたのにビックリだね。って言っても27人もいて家定しか残らなかったんだけども。

家定に子供がいなかったのも当然で、病弱で脳性まひだと言われているよ。脳性まひと言ったら現代では重度心身障害者だよね。

 

1857年のことだから、日米修好通商条約の前年。

クッソ忙しい時に、将軍の子供がいないから、「やべぇじゃん!世継ぎどうすんの!?」と問題になったわけ。

で、2つの派閥に分かれるんだわ。

【南紀派】

徳川慶福(よしとみ)を推す人たち。こっちは大老の井伊直弼が中心となって大奥も賛成したよ。

徳川慶福ってのは紀伊国の藩主で、後の14代徳川家茂(いえもち)だわ。

覚えてる?孝明天皇が、妹の和宮を降嫁させて将軍と結婚させたでしょ。その結婚したのが家茂だよ。

【一橋派】

こっちは徳川慶喜(よしのぶ)を推す人たち。

徳川慶喜が15代将軍だから、「あ~一橋派が負けたのね。ありがとう、わかりやすくて」って思うよね。うん、思うね。

徳川斉昭(なりあき)と松平慶永(まつだいらよしなが)もこの一橋派だね。斉昭は慶喜のお父さんだからね。自分の息子が将軍になってくれたら、嬉しいもんね!あの阿部正弘も加担してるよ。

 

ちょっと一橋派の立場に立って考えてみようか。

1854年 日米和親条約 → 不平等!
1858年 日米修好通商条約 → 不平等!

 

13代の徳川家定は病気。こんな状況で江戸幕府大丈夫なの?やばいんじゃね??

って普通だったら考えるよね。一橋派で活躍している人物の島津斉彬(なりあきら)や徳川斉昭、松平慶永ってのは有力な大名だったわけ。

「おいおい!お前らに任せててもしょうがないから、大事に対応できる慶喜を将軍にしようよ!!」

ってわけね。

 

一橋派ってのは、阿部正弘も加担しているくらいだから今までの慣習なんて、クソくらえ、革新していこうよ!

ってスタンスなわけだ。
すると、どうなる?

いつの時代だって、保守的な人たちってのは変化を嫌うわけでしょ。

 

だから、

「血縁関係の遠い徳川慶喜なんて将軍にしたら、ダメだよ。血縁関係の近いものが将軍やるべきだよ。やっぱ、慶福(家茂)でしょ。」

これが、南紀派のスタンスね。大奥とかまさに保守派じゃん。家から出ないし。保守代表です、みたいなね。

 

井伊直弼の政治的スタンス

 

で、井伊直弼はバリバリの保守派・南紀派なわけ。

すごいよ、こいつ。

一橋派の徳川斉昭や松平慶永を処分したから!これが安政五年の政変だわ!

慶喜を推すために江戸城に抗議しにきたから処分してやったわけ。

 

井伊直弼って、天皇の勅許が無い状態で条約に調印したでしょ。

この結果から一橋派やら尊王攘夷派からキレられてんのね。何度も言うけど、攘夷ってのは外国人うぜぇよってスタンスね。

こういった反対してくれる輩を次々と処分していったことからも井伊直弼の政治的状況ってのがわかってくるよね。

 

外国からも圧力をかけられて、内部からも圧力をかけられて可哀想な気もするかな。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

当ブログの有効的な使い方

「大学受験の日本史を極めるブログ」は使い方1つで、結果が大きく違ってきます。

・国公立・早慶レベルまで知識を深めるには?
・知識を定着させるアウトプットの方法は?
・良くわからない時はどうしたらいいの?

そんな悩みを解決する、当ブログの使い方をじっくり読んでみてください。

当ブログの使い方はコチラ

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*