品川弥二郎が作った国民協会は1892年に発足。

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さて、前回は品川弥二郎の無残な選挙干渉についてやったね。

お金で有権者を買収するわ、民党の人たちを文字通りボコボコにするわ、でなんでもアリの選挙だったわけだ。それでも政府側は惨敗!

民党に過半数を取られてしまったわけだよね。俺は、お金や暴力に屈さない人々の意思に感動する!とともに、今の政治にも世論のこういった気概が欲しいなと思っているよ。

 

そんな品川弥二郎は引責辞職後に国民協会を立ち上げるよ。

品川弥二郎の国民協会

選挙干渉で引責辞職した品川弥二郎は、西郷従道らと一緒に「国民協会」という党を結成するよ。

第四議会(=第二次伊藤内閣)では吏党の役割を果たしていたね。

 

当初は、政府の富国強兵論を物凄い支持していたんだよね。

品川弥二郎は、選挙干渉なんかしちゃって政府に都合良くしたい人物だったじゃん?

だから吏党のやつらをひきつれて、政治結社を作って、政府を支持するってのはもちろん当たり前のことだと思うんだよ。

 

でもね、ちょっとずつだけど気持ちは変化していくよ。

後で学習する条約改正に関しては、政府の態度ってのをかなり批判する立場になっちゃってさ。

政府から離れてみて、まぁ冷静な目で見れるようになったんじゃない。ってか人ってのは立場によって意見が変わるからさ。

条約改正交渉に反対して国権を守ろう!!みたいな民党よりな強い主張なんかもするようになっていったんだよね。

そんなことするもんだから、政府に西郷従道を引き抜かれちゃって、国民協会は存在意義を失うよ。

結局、1899年に品川弥二郎は国民協会を解散せて政治活動から撤退するに至る。

 

 

品川弥二郎は晩年、学校を作ったり信用金庫や産業組合の設立に尽力するよ。

実は品川弥二郎ってのは、吉田松陰の松下村塾で学んでた人物なんだ。だから、後年は吉田松陰の意思を継いで教育に力を入れていたんだ。

 

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