関ケ原の戦い!そしてその後どうなった!?

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さあ、いよいよ江戸時代の幕開け!実に265年もの間、江戸幕府は日本を治め続けていたんだ!(まぁ最後のほうはボコボコにされてたけどね!)

 

ところで、江戸幕府が誕生する前に“日本ほぼ全てを巻き込んだ”でっかい戦いがあったことは、みんな知ってるよね。

そう、「関ケ原の戦い」だね!

 

「天下分け目の戦い」ともいわれたこの戦いは、まさに誰が覇権を取るのかを決めるとっても大きな出来事だったんだ。

今日はこの「関ケ原の戦い」について分かりやすく説明していくよ。

 東軍と西軍

まず、関ケ原ってどこ!?って感じだよね。関ケ原の戦いは、1600年の9月に、美濃(現在の岐阜)の関ケ原で起きた戦い。年号はキリがよくて覚えやすいね!

 

そしてこの戦いのユニークなところは、東軍西軍の2つの勢力に分かれて戦っていたってとこ!これまでの戦国時代で武将たちが個々に戦っていたのを考えるとすごいことだよね。

東軍のボスはもちろん徳川家康!そしてここに福島正則、加藤清正、黒田長政といった諸大名が従ったよ。

西軍のボスは石田三成。ここに小西行長、毛利輝元、宇喜多秀家が加わった。

 

だけどそもそもなんで家康と三成は争うことになっちゃったのかな?実は、この2人の確執の原因は家康にあったんだ。

家康と三成の対立

豊臣秀吉が死んだあと、秀吉に任命されていた五大老・五奉行と呼ばれる人たちによって政治が行われるはずだったんだけど、ここで五大老の筆頭家康が覇権を取るために抜け駆けし始めたのよ。有名な大名と結婚などを通じて親戚になっていく・・・って手口でね!まさに「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の精神だね。

 

みんなで仲良くやろうってところで抜け駆けし始めたヤツがいたら、そりゃ気に食わないよねぇ!そしてそう思ったのが、五奉行の石田三成だったんだ。

 

こうしてだんだんと「家康にくっついていい思いしよう」派と「家康許すまじ!」派に分かれていって、関ケ原の戦いになっちゃった。

関ケ原の戦いとその後

そしてこの戦いで勝ったのはどっちだったかというと・・・徳川家康率いる東軍の勝利。石田三成と小西行長は京都で処刑され、宇喜多秀家は八丈島へ島流し、毛利輝元は120万石あったところを37万石まで減封(領地削減)されてしまった。おまけに西軍についた大名90家は改易(領地没収)された!厳しい・・・。

 

この3年後の1603年、家康は征夷大将軍の称号を得て江戸に幕府を開いた。そしてここから、徳川政権による長い長い江戸時代が始まるよ。

 

 

 

 

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