士族反乱の最大規模である西南戦争は西郷隆盛!

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さぁ士族反乱もクライマックスだ。

西郷隆盛どんは実は俺も大好きでね。本当はこの西南戦争についても書きたいことだらけなんだけど!

細かく話せば話すほど日本史の真実に触れる形になるんで、ぐっとこらえるよ。大学受験に重要なことだけいっとこうか。この西南戦争ってのは士族反乱の中でも最大規模のもので、日本歴史史上最大の内乱なんだよ。

西南戦争とは

1877年2~9月。

西郷隆盛が鹿児島に開いた学校、私学校の生徒らを中心として士族が西郷隆盛を擁して挙兵した事件!

熊本城を落とすことができず、敗戦が続いて政府軍に鎮圧される!

という事件だね。

西郷隆盛は明治六年の政変で下野してからは故郷の鹿児島に帰っていたんだね。

これが1873年のとだから、西郷どんが帰ってから4年後の事件だ。

西郷隆盛は帰郷するとすぐに私学校を1874年に開いて、士族の子弟に戦争について教えていたんだね。

これは、西南戦争を起こすためが目的じゃなくて、西郷隆盛はロシアの南下政策をかなり懸念していて日本を守ろうとしていたんじゃないかってことなんだ。

 

でもって、新政府にとっては鹿児島のこの勢力は脅威だったのね。

だから密偵を送ったりして西郷隆盛を暗殺しようとしていたんだとか。

西郷隆盛自身は農作業なんかをして、穏やかに暮らしていたんだけど私学校の生徒達が明治政府に不満を募らしているし、盛り上がっちゃってるし・・・

そんなときに、江藤新平が佐賀の乱をおこし、前原一誠が萩の乱を起こし・・・と下野組が次々と明治政府に対抗しているの。

 

こういったすべての様子を見て、

「これも俺の運命か・・・腐敗している明治政府を正さねばならん!」

ということから、西郷隆盛は挙兵を決断したわけだ。

 

 

西南戦争は国内最大規模で、政府軍70,000 VS 旧薩摩藩士族30,000の戦いで、13,000人が戦死しているよ。

 

西南戦争からわかること

明治政府は西南戦争を鎮圧するために、国の収入のほとんどを使ってしまったんだよ。

でも、国内最大規模の西南戦争に勝利したことは明治政府の徴兵軍の強さを証明する出来事でもあったため、

「明治政府強い」

と思わせることに成功したわけだ。

しかし、先にも述べたように政府はお金を使い過ぎちゃって、国立銀行が不換紙幣を発行しまくる自体に陥ったわけ。

紙幣をたくさん刷るとインフレが起きるから国民の生活はさらに苦しくなってしまったんだね。

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コメント

  1. りょう より:

    教科書読んでるだけだと、西郷隆盛が西南戦争しかけたみたいに思えますね。実際は担がれただけなんですね。

    1. jahistory より:

      そうなんです。西郷隆盛は農作業してたくらいですから。
      担がれたときは、「これも運命か・・・」的なことを言ったらしいですよ。人々の期待を裏切れない日本人気質でかっこいいですよね!

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