山東出兵、北伐とは? 理由と目的をわかりやすく

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今回見ていくのは中国。

とくに1920年代を見ていくわけだけど、その頃の中国がどんな状況だったのか忘れちゃってるかな?

日本史を勉強していると外国の歴史はぶつ切りに習うから、それまで外国がどんな状況だったのかまったくつかめないんだよね。

でも大丈夫。

しっかりと20年代以前のことも確認していくから安心して読んでいって!

 

まずは辛亥革命をおさらい

 

まず確認したいのが1911年に起こった辛亥革命(ここで詳しくやったよ)!

それまで中国は満州民族が統治してたんだけど、孫文が「中国は漢民族の国家だ!」といって革命を起こしたんだ。

 

それで一時的に孫文は大統領になった。

でも清朝の軍の実力者、袁世凱が孫文からすぐに政権を奪ったんだった。

 

清朝が消滅したとはいえ、袁世凱が実権を握って近代国家とはかけ離れた政治をしている。

孫文は面白くないよね。

 

とはいってもすぐにまた革命を起こせるほどの力をもっていない。

孫文は再び革命の機会をうかがうよ。

 

第1次国共合作

 

でも好機を待っているあいだに、社会が変化していっていまったんだ。

 

それが中国共産党の結成ね!

1921年に結成されてからどんどん勢力を拡大していくよ。

社会主義思想は日本でも勢力を拡大していて治安維持法を制定するまでになったね(ここで詳しく説明したよ! 治安維持法改正はここ!)。

同じように中国でも社会主義思想が拡大していったんだ。

 

これで革命を目指すのが中国共産党と孫文の中国国民党になってしまった。

孫文が政権を奪うためには袁世凱の後を継いだ段祺瑞(だんきずい)「と」中国共産党を倒さなければならなくなった。

 

でもそ二つの勢力を倒す力はない。

じゃあ革命を狙っている中国共産党と手を組んでまず段祺瑞を倒そう!!

 

そこで孫文は中国共産党と手を組んだよ。

このことは第一次国共合作(だいいちじこくきょうがっさく)というよ。

ただし年号は1924年。辛亥革命から13年も経っているよ。

 

 

北伐の始まり

 

1925年に上海にある

在華紡(ざいかぼう)

でストライキが発生した。

 

在華紡とは日本の紡績資本が中国につくった紡績工場で、大正末期には15社あったよ。

これをきっかけにストライキは各地に広がっていくんだ。

 

でも、段祺瑞率いる中国政府が在華紡の見方をしたことから、中国国民党は北伐(ほくばつ)をはじめたよ。

 

北伐(ほくばつ)

というのは清朝のときから残っている

軍閥(ぐんばつ)

を倒していくこと。

主に北の方の軍閥を倒していくから、北伐というよ。

 

この北伐をおこなったのが

国民革命軍(こくみんかくめいぐん)!!

 

国民革命軍を率いたのは中国国民党の

蒋介石(しょうかいせき)!!

 

えっ?孫文じゃないの?と思うかもしれないけど、実は北伐の前に孫文は死んでしまうんだ。

そこで孫文の後継者、蒋介石が中国国民党を率いることになったよ。

 

北伐は順調に進んで、1927年3月には南京と上海を占領したんだ。

でも、国民革命軍は南京を占領する際に、イギリスとアメリカと日本の領事館と居留民たちを襲って、死者をだしたために列国から非難をうけた。

 

どうやって回避しようか。

実はそのときちょうど国共合作していた中国国民党と中国共産党の対立が深まってきていたときだったんだ。

ここで蒋介石は列国の領事館と居留民の襲撃を中国共産党のせいにして、上海から中国共産党員を追い出すよ(反共クーデター)。

 

 

これで第一次国共合作は終わったんだ。

 

そして、蒋介石は南京に

国民政府(こくみんせいふ)

をつくるよ。

 

山東出兵とは?理由と目的をわかりやすく

 

北伐によってアメリカやイギリスと日本は被害を受けたわけだけど、それに対して報復したのはアメリカとイギリス。

日本は中国の動きに干渉しなかったんだ。

 

その頃の日本の内閣は若槻内閣で、外相は幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)。

 

幣原喜重郎は幣原外交(協調外交)で有名だね(ここで詳しくやったよ)。

幣原外交というのは、武力ではなく話し合いで解決しよう!というワシントン会議以降とられた外交のやり方のことをいうよ。

でもこれに対して不満に思う人も多くいるよね。枢密院ね。

 

そんな外交をしたら、日本の資本で作った在華紡とか満州の日本の利権を守れないじゃないか!

という訳。

 

で、若槻内閣を潰すために金融恐慌の取付騒ぎを収束できないようにしたんだ(ここで詳しくやったよ)。

そして若槻内閣から田中義一内閣にかえた。

 

もちろん、田中内閣は協調外交とは正反対の積極外交(せっきょくがいこう)をする。

 

 

田中内閣は幣原外交とはうってかわって中国にいる日本人の生命、財産の保護を口実に1927~28の間に山東省へ陸軍を送るよ。

それが

山東出兵(さんとうしゅっぺい)!!

 

山東出兵の理由は積極外交。

山東出兵の目的は日本の利権を守る(あわよくば拡大する)ためだったんだね。

 

山東出兵の際に覚えておいてほしいのは

済南事件(せいなんじけん)!!

 

北伐している国民革命軍と山東出兵した陸軍が衝突した事件ね!

 

 

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