鎖国ってなんだ!?~鎖国令と出島~

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

前回は鎖国がどういうものか、それから奉書船について見てきたね。

鎖国の目的、パッと頭に浮かぶかな?禁教と貿易の規制だったね。

ところで、実は鎖国の法令は一つ出ただけじゃないんだよ!数だけ言えば5回も鎖国令が出てるんだ。

 

今回はその鎖国令と、それに関連して長崎の出島について見ていくよ。

鎖国令

じゃあさっそく鎖国令を見てみよう。

・鎖国令(寛永十年令)

最初の鎖国令(1633年)で、奉書船以外の海外渡航を禁止。さらに、海外に5年以上住んでいる人の帰国も禁止。

 

・鎖国令(寛永十一年令)

1634年。寛永十年令をもう一回出しただけ。

 

・鎖国令(寛永十二年令)

1635年。日本人の海外渡航と海外居住者を全面的に帰国禁止に。これで朱印船貿易が出来なくなって、朱印船貿易は消滅するよ。

 

・鎖国令(寛永十三年令)

1636年。「通商に関係のない」ポルトガル人を日本から追放したよ。

 

・鎖国令(寛永十六年令)

1639年。今まで一年刻みだったのにこれだけ前回のやつから三年後(笑)。ポルトガル船の来航を全面禁止。これで鎖国が完成したということで、最後の鎖国令になったよ。

 

さて、5つを順番に見てきたけど、すごく徹底してるよね!海外の日本人を帰国させないってのも、キリスト教持ち込まれないようにするためとはいえかなり厳しい・・・。

 

ここで一つ忘れちゃいけない点が一つ!鎖国の中で「ヨーロッパの中でオランダだけは貿易を許可されていた」ってことだ!

これが次の内容の「出島」に関わってくるよ。

長崎・出島

長崎は鎖国の下でメインの貿易が行われていた港で、主な貿易国はオランダと清(中国)。

鎖国政策では貿易港を制限するだけじゃなくて、「外国人の居住場所も制限」したんだ。

その場所が、長崎の出島。1634年に建設されたよ。

1641年にオランダの商館が平戸からこの出島に移されて以降、215年間もの間長崎で貿易をし続けたんだ。

清との貿易では、出島ではない長崎の郊外に唐人屋敷というものを建設して、そこに居住させていた。

 

さて。こんな感じで鎖国は完成して、以後開国まではこの状態が続くことになる。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*