済物浦(さいもっぽ)条約とは壬午軍乱の後に日本と朝鮮で結ばれた条約!

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前回は壬午軍乱についてやったよね。

高宗のお父さん、大院君と高宗のお嫁さん閔妃による争い。それが壬午軍乱!!高宗はどんな気持ちだったんだろうね。実の父親大院君と嫁の閔妃の争いなんてさ。

俺も自分の父親と嫁さんがバチバチやってたら・・・なんて想像すると胃が痛くなるよ。ウチ?あぁ大丈夫。心配しないで。父親は嫁さんに甘々だからさ。平気だよ。

壬午軍乱ってのは結局のところ清が出兵して鎮圧されてよね。

でも、日本は軍事顧問が殺されたり、公使館が焼き討ちされたんだよ?どうする?

今日は済物浦条約じゃい!!

済物浦(さいもっぽ)条約とは?

さっきも話したけど、日本は軍人の顧問を殺されたり公使館が焼き討ちされたりして散々だったんだよね?

怪我の功名じゃあないけども、日本は朝鮮に首謀者の処罰、賠償金などを求めたわけ。それで結んだ条約が済物浦条約なわけ。

済物浦条約で日本にとって良かったことってのは、日本の守備兵を朝鮮に駐留させることができたこと。

だって、日本の軍人を朝鮮に置いておくことができたらー支配力が強まるじゃんかー。

閔妃はどうなった?

閔妃ってのは、元々改革派で親日派だったでしょ?でも大院君にクーデタを起こされたて、どうしようもなくなった閔妃一族は清に助けを求めたんだったよね。

この壬午軍乱以降は閔妃は急速に清国側に接近していくのね。そりゃそうだよね。助けを求めた相手で、助けてくれたんだから仲良くするしかによね。

もともと1880年代の初めから閔妃はは日本から軍事顧問招いたりして日本と接近を進めていたんだけど、壬午軍乱で台無しだね。

 

これから甲申事変の時に詳しくやるけども、金玉均と朴詠考らの改革派は済物浦条約の後にどんどん日本に接近していったんだよ。

閔妃は清側に、金玉均と朴詠考は日本側にという構図もとらえておく必要があるね。

 

次回予告!

金玉均と朴詠考ってどうやって読むの?

気になった人は次の記事もチェックしてくれよな!

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