薩長同盟をわかりやすく。薩摩と長州はなぜ同盟したのか?

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薩摩と長州を仲良しにして坂本竜馬くん。

これはあまりにも有名な話だけども、犬猿の仲とも言われていた薩摩と長州がなぜ同盟なんかしたのか?って、ここらへんが日本史のダイナミズムを感じるよね!

そもそも薩摩と長州が犬猿の仲だった!ってのが理解できない人もいるだろうから、順にわかりやすく話していくよ。

日本史の流れを使う超重要な出来事だからチェックしておいてくれよ。

薩長同盟に至るまで

 

薩摩・・・公武合体の動き。幕府に命じられて長州を倒そうとしていたくらい。
長州・・・尊王攘夷派。外国人うぜぇ!幕府潰すぞー!

こういった立ち位置なわけだ。だから犬猿の仲なの。
遡っていくと、ものすごい数の事件を説明することになるからさ、今日はここまでにしておくよ。気になる人は過去記事読みまくってね。

 

薩摩ってのは公武合体なんかも推し進めていたから、江戸幕府よりで長州攻撃してたのね。

長州は最初は孝明天皇に同調して攘夷してたんだけど、過激すぎて追い出されちゃったんだよね。
江戸幕府・・・外国の言いなりでどんどん弱体化していく。

 

こういった流れがあったわけだ。

 

○薩摩も長州も考え方が変わっていく。

 

薩摩はイギリスと薩英戦争を経験してるね。

島津久光がイギリス人を生麦で斬っちゃって、薩英戦争したでしょ。この時に薩摩はイギリスの強さにビックリ!

「これは攘夷ってのは無理そうだな・・・」

と思うわけ。でもイギリスと戦争したことによって、逆にイギリスと仲良くなっちゃう。武器を大量に輸入するようになるのね。

 

長州は下関戦争を経験してるよね。

イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国艦隊アベンジャーズにやられて、

「外国強いな・・・。攘夷派無理かも。倒幕しよっと!」

という考え方に変わるわけ。

 

つまり、薩摩も長州も外国の脅威に対して、なんら有効な解決策を見いだせない江戸幕府に対して不信感を抱きつつ、幕府を倒す!という利害で一致していくわけ。

西郷隆盛も第一次長州征伐の時、最初はノリノリだったんだけども長州征伐で長州ボコボコにしたら、江戸幕府の力を増長しかねない!ってことで穏やかになっちゃうしね。

薩長同盟の実現

こういった薩摩と長州の思惑で利害は一致しているんだけどもバチバチ戦ってた間柄だから、「はい、同盟しましょうね。」とはすんなりいかないわけ。
そこで登場するのが、土佐藩を脱藩した

坂本竜馬・中岡慎太郎

なんだわさ。

長州藩の木戸孝允と薩摩藩の西郷隆盛を合わせることに成功したのが、1866年の1月。

両藩は藩の名目もあってなかなか同盟に前向きになれなかったんだけども、坂本竜馬が、木戸孝允と西郷隆盛に説教たれて、

「国難打破のためだぜ!藩の名目なんて気にしているのは小心者だ!!」

と言い放つのね。坂本竜馬の気合に押さえる形で、薩長同盟は実現するわけ。

 

簡単に同盟したわけではなくて、紆余曲折があったんだけども無事に同盟しわけだね。

長州は外国船攻撃しちゃったから、外国から正式に武器が変えなくてさ。

薩摩が購入して長州に流してあげたのも信頼を勝ち取る好材料だったわけだね。

 

この薩長同盟は革新的で、これまでの江戸幕府→藩体制という枠組みを超えて、天皇を頂点とする国家統一に、つまり明治維新へと向けた大きな一歩となったわけ。

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