流地禁止令(質流し禁令)は徳川吉宗の失策!?

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これまでの数記事で、徳川吉宗が行った「享保の改革」について見てきた。

 

大体は良い政策だったんだけど、前にも言った通り徳川吉宗は少々時代錯誤マンだった。

 

というのも、吉宗は5代将軍・徳川綱吉のころの政治が一番いい政治だと思っていたから、吉宗の時代に合わないような政策まで打ち出してしまった。

その代表格ともいえるのが、「流地禁止令(質流しの禁令)」だ。

流地禁止令はなぜ出された?

 

繰り返しになって申し訳ないけど、とにかく幕府にはお金がなかった。

どうにかして年貢による税金を増やさないとやっていけない状況にあった。

 

そんな時注目された「ある問題」があった。

 

この時代は「田畑永代売買の禁令」がでていたから農民たちは建前上田畑を売ることができなかった。

しかし、困窮にあえぐ農民は質屋に田畑を入れるようになる。

 

質屋ってみんな知ってるかな。

 

お金を借りるとき、何かお金の代わりになるようなものを預けて対価を貸してもらい、期限内に返せなければ預けたものが没収されるという商売をやってるところね。

 

質屋に田畑を預けた農民たちだけど、まあ大半の場合返せず質流れ(預けた田畑が質屋のものになること)が起こる。

こうして、農民たちが耕していた田畑が商人の手に渡るようになり、耕す人がいなくなった田んぼや畑はどんどん荒れていく。

つまり、田畑が減少して年貢を生み出せなくなっていっていたわけだ。

 

これを改善すべく、幕府は流地禁止令を出して、「質入れはいいけど質流れさせちゃダメ!持ち主の農民に返しなさい」と言ったんだ。

 

これが大騒動に発展してしまう。

 

流地禁止令の混乱

 

実はこの流地禁止令が出される前までは、「質流れを認める書面があれば質流れさせてもいいよ」と認められていたんだ(質地取扱の覚)。

それが急に「質流れダメ―」になっちゃったから皆大慌て。

 

すでに質流れしちゃった田畑を戻すとなるととんでもない手間と混乱が起こることは火を見るより明らか

名主たちの中にはは混乱を避けるため、農民たちにこの法令が出たということを隠す人も現れた。

 

これがまたダメだった。

 

独自にこの流地禁止令の法令を入手した農民たちが、法令を「徳政令(借金をチャラにする法令)」と勘違いしちゃったんだ。

本来流地禁止令は「質入れはOK、質流れはダメ」というものだから借金自体は消えなくて、田畑が質屋のものにならないだけだった。

 

しかしいったん誤解した農民たちは大激怒。

「借金チャラにされるのが怖くて隠してやがったな名主ども!」ということで、土地を取り返すべく騒動を起こし始める。

挙句の果てには軍が出兵するほどの大騒動になってしまった。

 

で、結局幕府は次の年にこの法令を撤回することになる。

 

まとめ

いくら財政難だったからと言っても、このような現実に即さない法令を出してしまうと、このような大騒動を引き起こしてしまう。

 

これは吉宗の失策と言われているよ。

 

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