琉米条約からわかる琉球王国の歴史とペリー

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琉米条約って知ってる?

琉球米国修好条約とも言うんだけどさ。超マイナーだよね。うん、マイナー。

でもね。この琉球とアメリカの条約でもって、琉球王国が一体なんだったのか?ってことや、ペリーの思惑なんかも知れて結構、造形が深まる内容なのよ。

正直、「琉球王国って沖縄の昔のやつでしょ?それだけ知っておけばいいんじゃね?」って考えがちだけど、割と大学入試出るのよね。

この琉米条約を基に、琉球王国について見てみよっか。

 

琉米条約って何?

 

まずね、ペリーってなかなか戦略的な奴でさ。

浦賀に来る前に琉球王国と小笠原諸島を訪れているんだよね。アメリカ大統領フィルモアの親書をもって日本に行ったわけじゃん?「おい!日本、開国しろよ!」って。

で、もし仮に日本が無理だったとしても、琉球王国と小笠原諸島ぐらいはぶんどってやろう!って腹だったわけ。

でね、浦賀に到着する前に琉球王国行ったんだけどちょっと面白い話があって。

ペリーは琉球王国の首里城目指して入っていったわけ。もちろん琉球王国は拒否するじゃん?でも武力行使したの。

琉球王国って慣習でペリーに酒と料理をもてなしたんだけど、清の遣いよりも下位の料理を出したのね。「早く 帰 れ よ !」って暗黙のメッセージね。

でもペリーは大感謝してサスケハナ号でフランス料理をお返しにふるまったとか。文化の違いって面白いね。

 

で!!話し戻すけど。

1854年に日米和親条約を結んだ後に、アメリカは琉球とも「琉米条約」ってのを結んだの。薪水の供給とか和親条約と似たような形ね。

 

琉球は独立国だった

これは、琉球王国ってのが、日本から独立した存在だったってことを象徴しているよね。

2015年にはね、アメリカ国立公文書館に納められていた、「琉球米国修好条約」の原本でもその内容が指摘されている。主権のある独立国家ってね。

琉球ってのは、日本とアジアの貿易をつなぐ大事な独立した国だったってこと。

ここで、覚えておいて方が非常に便利なのが、琉球王国が、1429年~1879年までの期間だったってことだね。

でね、1609年の江戸時代が始まったばかりの頃に薩摩藩に侵攻されて実質的な支配下だったの。でも一応独立した国家だったってことね。

この琉米修好通商条約から琉球王国が日本にとってどういった位置付けだったのか?ってのがわかるよね。

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