良寛(和尚)の名言とは?優れた歌人でもあった

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前回は、化政文化期を代表する俳人・小林一茶について見てきたね。

波乱万丈、決して楽ではない人生を歩んだことで、一茶にしかつくれない俳句の数々が生まれたんだったよね。

 

今回見ていくのは、生涯をお坊さんとして生きた良寛という人物について。

 

人の暗黒面を見て、厳しい修行を重ねる

良寛は、名主の子として生まれ、将来は名主を継ぐと思われていた。

しかし、18歳の時突然出家し、寺で修業を積むようになる。

 

このころの日本では、全国各地で天候不良や病気の蔓延が発生していた。

その中で、良寛は様々なものを目にする。

飢餓で苦しみながら死んでいく人、貧困からくる人々の心の荒み、盗み・・・。

そして罪人の処刑。

 

これを見た良寛はより一層修業に明け暮れる。両親の「戻ってこい!」という説得にも全く応じなかった。

 

22歳の時に人生の師匠ともいえるお坊さんに出会い、そこから更なる厳しい修行をし始めた。

なんと12年間もの間修業は続いたという。

 

やがて師匠がなくなり、全国への旅をするようになる。

放浪の旅の末、新潟県の寺で、近所の子供たちとボール遊びやかくれんぼなどをして戯れながら、一方で自分の心を歌や書にして表すようになる。

 

良寛は「子供の持つ純粋な心こそ仏の心」と考えていたから子供たちのお願いや遊びの頼みはすべて引き受けていたという。

 

そんな良寛の歌は、万葉集に乗っているような歌風が特徴だった。

まとめ/良寛の名言

良寛の辞世の句は、良寛がなくなる4年前あたりから恋をしていた尼さんへ贈った歌。


『うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ』

 

「散りゆく紅葉も、葉の表・裏を包み隠さず見せながら散っていく。

4年間の短い恋だったけど、包み隠したものはないよ」という、とっても温かい歌だね。

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