盧溝橋事件とは?原因・理由をわかりやすく

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1930年代後半、日本は戦乱の時代へと突入していくんだ。

盧溝橋事件、漢字が難しいよね。

高校受験ではひらがなでもよかったけど、大学受験ではそういうわけにはいかない。(センター試験はいいけど)

ぜひ漢字も合わせて覚えよう。

盧溝橋事件とは

盧溝橋事件って名前はきっとほとんどの人が知っていると思う。

盧溝橋事件は教科書でも太字で出ているし、絶対におさえておくべき事件だよ。

 

盧溝橋事件は、日中戦争の原因となった事件なんだ。

 

1937年7月7日の夜中から8日の早朝にかけて、

夜間演習中の日本軍に対して何者かが発砲したことをきっかけに、

北京郊外盧溝橋付近で日本軍と中国軍が衝突した事件を盧溝橋事件と言うんだ。

 

この発砲なんだけど、

最初に誰が発砲したのかは今でもわかっていないんだ。

日本軍の自作自演、中国軍の誤認発砲、中国共産党の計画的犯行など、

さまざまな説はあるみたいなんだけどね。

 

盧溝橋事件が起こった時、日本国内には2つの意見があったんだ。

それは、中国に武力を行使したほうがいいという意見と、満州の経営に全力を注ぐため、中国との全面衝突は避けたほうがいいという意見だ。

 

実はこの時、北京では日本軍と中国側との間に現地協定が成立して、事件が収拾しつつあったんだ。

だけど、近衛内閣は、日本軍を華北に派遣することを決めたという発表をしてしまったんだ。

 

結局、それでその後交渉はまとまらなくて、中国と全面衝突になってしまったんだ。

 

盧溝橋事件が起こった当初、

政府は華北での日中の戦闘を「北支事変」とよび、

華中にまで広がると「支那事変」と呼ぶようになったんだ。

 

そして時間はだいぶ流れるけど、第二次世界大戦後は「日華事変」と呼ばれるようになって、

最終的に、これは宣戦布告のない戦争だったことから、今日では「日中戦争」と呼ばれるんだ。

 

日中戦争への発展

この盧溝橋事件を受けて、

近衛内閣は最初は不拡大方針を取っていたんだ。

 

だけど、陸軍や政府内の強硬派の意見に押されて、

近衛内閣は強硬方針を打ち出した。

 

この強硬方針は多くの政党、言論機関によって支持されたんだ。

 

その結果、陸軍は華北での軍事行動を拡大し始めるし、

8月には、上海で大山海軍大尉殺害事件が起こったのを機に、

海軍も中国の首都南京を爆撃したりと、大変なことになってしまったんだ。

 

そうして、日本と中国は8年余りに及ぶ全面戦争、日中戦争に突入したというわけ。

 

 

盧溝橋事件がきっかけで日中戦争が起こったんだ。

ぜひ盧溝橋事件と日中戦争は合わせて覚えておいてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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