立志社建白を天皇は却下!西南戦争中の出来事。

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立志社についてもう1つ。

立志社というのは板垣退助が土佐に戻って作ったローカル的な政社だったね。この立志社に呼応するかのように全国的に小さな政社がどんどんできていったんだよね。

この立志社の社長片岡健吉が西南戦争の途中に出したものが立志社建白なんだ。

立志社建白とは

まず、自由民権運動の先駆けは愛国公党だったよね。

で、ローカル的な政社、立志社や自助社、西陽社などができていって、1875年には全国の有志が結成した愛国社ができたんだよね。

でも、この愛国社ってのは、大阪会議で板垣退助が参議に復活したことによって活動が停止してしまうの。
そこから怒涛の西南戦争も起きるしね。

そんな中、立志社の中でも、

「俺らも西南戦争に挙兵しようぜー!!」

という考えが浮かびあがったくるのね。奴らは士族だからさ。西南戦争ってのは士族の不平反乱なわけじゃん?

 

そんな中、立志社の社長片岡健吉は、

「いかんいかん!武力ではなく、言論で政治を変えねばならん!!」

という超かっこいい台詞を言ったんだとか。

そう。あくまで彼らは国会開設を望んでいたわけだから、武力行使ではなく言論活動によって政治を変えようとしていたのね。

そこで、明治政府を批判する失策8条を天皇に向けて提出するんだよ。失策8条には、兵制、税制、外交の失敗などなど「明治政府うまくいってないよね。」というものが含まれているのさ。

立志社建白には、徴兵令の廃止や国会開設を求める内容も盛り込まれているよ。

 

ここで、ちょっと思い出してみて。

自由民権運動が盛り上がってきて、明治政府は讒謗律や新聞紙条例で政府を批判することを取り締まったよね?

だから立志社建白は政府に出されたんじゃなくて、天皇に提出されたんだよ。

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