江戸時代の外交をわかりやすく!~リーフデ号事件~

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前回までは①②の二回にわたって幕府が行った宗教統制について見てきたね。

繰り返しになっちゃうけどなんで幕府が宗教統制したのかというと、

①スペインやポルトガルの「キリスト教を使って日本を侵略してやろう」という魂胆が見え隠れしていたから

②キリスト教徒の国民に団結されると危険だから

だったね!この懸念を払拭するために行ったのが、前回までで見てきた各種施策だったわけだ。

 

今回の内容は前回までとはガラッと変わって、江戸時代初期の外交について見ていくよ!

 

リーフデ号事件

さて、突然出てきたこのリーフデ号事件。ざっくり説明すると、「オランダの商船リーフデ号が大分県の臼杵湾に漂着した」というもの。

ん?あんまり外交と関係なさそう・・・?

 

いやいや、実はこの漂着したリーフデ号に乗っていた二人の外国人が非常に重要だったんだ!

ヤン・ヨーステンとウィリアム・アダムズ

そう、この二人がリーフデ号の乗組員。まずは彼らの紹介をしよう。

 

ヤン・ヨーステン(日本名:耶揚子)

オランダ人で、リーフデ号の航海士。漂着したあと家康にとても信用されていて、東京都八重洲(東京駅があるあたり)に家をもらった。後に朱印船貿易(次回以降で詳しく!)に深く関わったよ。

 

ウィリアム・アダムズ(日本名:三浦按針)

この人はイギリス人で、リーフデ号の案内人だった。この人も家康に信用されて、日本橋に家を、さらに三浦半島に領地までもらっているよ。また、朱印船貿易にも関わった。

 

平戸商館

ヤン・ヨーステン、ウィリアム・アダムズの二人が尽力したのが、平戸(佐賀県と長崎の一部)に商館を建てること!商館は外国人の営業所のこと、つまり貿易の拠点ってコトだね。

オランダ商館は1609年、イギリス商館は1613年に開設されたよ。

この後、イギリス商館は1623年に閉鎖されてオランダ商館は41年に長崎の出島へ移動してしまうんだけど、これは鎖国政策なんかと深く関わっているから、また今度見ていこう。

 

どうだったかな?結構リーフデ号事件、外交と関係あったでしょ!リーフデ号漂着は江戸初期の貿易において重要な出来事だったんだね。

 

ちなみに・・・東京の「八重洲」って地名の由来は、ヤン・ヨーステンの日本語名「耶揚子」がなまったものらしいよ!

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