国学とは?簡単に解説。有名な国学者の紹介も

今回見ていくのは、宝暦・天明文化の時代において発展した「国学」という学問について見ていくよ。

 

国学は幕末に盛んになる「尊王論」につながる部分があるから非常に重要だ。

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稲村三伯は「芝蘭堂の四天王」!『ハルマ和解』ってなんだ?

前回は、蘭学者であり医者であった大槻玄沢について見てきたね。

玄沢は江戸に芝蘭堂を設立し、そこで蘭学をおしえていたんだったね。

 

その芝蘭堂から排出された優秀な弟子たちは『芝蘭堂の四天王』と呼ばれた。

今回は、その『芝蘭堂の四天王』の一人・稲村三伯について見ていくよ。

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大槻玄沢は芝蘭堂を設立!解体新書の訳し直しも

前回・前々回で、解体新書の作成に貢献した前野良沢、杉田玄白について見てきたね。

『ターヘル・アナトミア』翻訳当初のオランダ語学力では奇跡といえるほどの翻訳精度を誇った『解体新書』だけど、良沢や玄沢が自分で言っているように「翻訳が正しくない部分」が多々あった。

 

それの再翻訳を命じられたのが、玄白と良沢の弟子・大槻玄沢だ。

医学は玄白から、蘭学は良沢から

大槻玄沢は幼いころから医学や語学に非凡な才能を発揮していた。

22歳で江戸に行き、ここで医学や語学の知識を一気に深めた。

 

医学の先生は杉田玄白、オランダ語の先生は前野良沢だった。

あの『解体新書』コンビが先生だったんだ!

 

“玄沢”というのは通り名で、2人の先生から一文字ずつとった(杉田玄白の“玄”、前野良沢の“択”)。

解体新書の再翻訳、蘭学入門書を手掛ける

玄沢の功績はたくさんあるんだけど、中でも解体新書を訳しなおしたことと、蘭学の入門書を作ったことが大きい。

 

解体新書の改訂は杉田玄白から命じられた。

というのも、当時は玄白の時よりもオランダ語の研究や知識が飛躍的に進展していたから。

 

玄沢は約8年かけて、ようやく「重訂解体新書」を発刊する。

 

 

このほか、江戸に蘭学を教える私塾である芝蘭堂を設立。ここで数々の有能な人材を輩出した。

 

さらにオランダの初歩的な文法などが掲載されている「蘭学階梯(かいてい)」が出版され好評を博する。

まとめ

大槻玄沢は、優れた師に恵まれたことで、「重訂解体新書」「蘭学階梯」を著すことができたんだね。

杉田玄白の解体新書にまつわるエピソードとは!?

前回は、『ターヘル・アナトミア』を翻訳し『解体新書』を作り上げた偉人の一人、前野良沢について見てきたね。

 

今回はその共同執筆者、杉田玄白について見ていこう。

 

玄白「“フルヘッヘンド”の意味が分からん!」

玄白が『ターヘル・アナトミア』を翻訳しようと志したきっかけは前回話したけど、一応載せておくね。

前野良沢と友人の杉田玄白は、死んだ罪人の解剖を見学した際に持っていた『ターヘル・アナトミア』の正確さを目の当たりにする。

 

これに感動した2人とその友人たちははさっそく『ターヘル・アナトミア』の翻訳を始めた。

 

こうして始まった解読だけど、初っ端から大苦戦。

 

玄白たちはとりあえず人体の全体像が書いてあるページから翻訳を始めた。

しかし、鼻の説明のところで「フルヘッヘンド」という単語が登場。

 

これが玄白たちにはさっぱりわからなかった。

 

そこで、良沢が持っている簡単なオランダ語の辞典(オランダ人が使う国語辞典)の例文から推察しようとした。

 

オランダ語の辞典にあった「フルヘッヘンド」の例文は

“庭を掃除するとゴミが集まってフルヘッヘンドする”

 

というもの。

 

ここから玄白たちは「うず高い」という意味だと推理したんだ。

 

良沢と喧嘩別れ?

 

玄白は、翻訳活動が終わる前に自分が死んでしまったら大変だ、と常々心配していた。

というのも、『解体新書』はいずれ日本の医学を大きく変えると確信していたから。

そこで玄白は、なんとしても生きているうちに形に残そうと、翻訳があいまいな部分に目を瞑って出版を強行した。

 

しかしこれを良しとしなかったのが良沢だ。

完璧を求める良沢は「こんな中途半端なモノを世に出せるか!」と怒ってしまう。

 

結局『解体新書』出版後は仲たがいをしてしまったという。

 

まとめ

杉田玄白や前野良沢は、ほとんど何もわからない状態から、当時からしたら考えられないような素晴らしい出来の『解体新書』を作り出した。

 

しかし、焦って出版を急いだために、良沢と仲が悪くなってしまう。残念。

前野良沢は「蘭学の化け物」!?解体新書作成の功労者

前回は、日本最初の解剖図録を作成した山脇東洋について見てきたね。

 

東洋は実験医学を率先して行い、漢方医学の誤り・西洋医学の正しさを証明したんだったね。

 

いよいよ今回は、あの『解体新書』を生み出した偉人の一人、前野良沢について見ていくよ。

前野良沢は蘭学の達人

良沢は、1723年江戸に生まれる。

小さいころに両親を亡くしたため、大叔父であり医師の宮田全沢という人に養われることになる。

それがきっかけで後に良沢は医者となる。

 

その後ふとしたきっかけで蘭学に興味を持ち、早いうちから蘭学を学んでいた青木昆陽に学んだり、長崎へ留学に行ったりした。

 

その長崎の留学中に手に入れたのが、西洋の解剖書『ターヘル・アナトミア』だった。

解体新書は「奇跡」!?

前野良沢と友人の杉田玄白は、死んだ罪人の解剖を見学した際に持っていた『ターヘル・アナトミア』の正確さを目の当たりにする。

 

これに感動した2人とその友人たちははさっそく『ターヘル・アナトミア』の翻訳を始めた。

 

しかし、玄白はオランダ語を読めず・良沢のオランダ語力も翻訳当初は大したことがなかったので翻訳作業は非常に難航した。

 

ほとんど暗号の解読のようなものだったという。

 

4年弱の翻訳期間を経て、ついに刊行されたのが『解体新書』だったわけだ。

 

玄白や良沢は、自ら解体新書を「訳が不完全」と述べていて、実際間違った訳もまあまああった。

 

だけど、当時の玄白や良沢の語学力では「奇跡」と言えるほどの翻訳精度だった。

 

その後さらに蘭学を勉強し続けた良沢は、中津藩の藩主から「蘭学の化け物(誉め言葉)」と言われて重用された。

 

まとめ

良沢は、実は『解体新書』の著者として名前が載っていない。

諸説あるけど、良沢は「不完全な訳で出版する本に自分の名前を載せたくない!」という、カタブツ研究者だったから名前を載せなかった、と言われている。

 

まさに、蘭学の化け物だね。