尾崎行雄の共和演説事件→第一次大隈内閣終了のお知らせ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

前回は、自由党と進歩党が結成して憲政党を作り、初の政党内閣を組織するも・・・わずか4ヶ月でおしまい!

ってのをやったよね。自由党と進歩党が仲が本当は悪かった!ってのもあるんだけど、実はこの尾崎行雄の共和演説事件ってのも第一次大隈内閣の退陣の大きなきっかけなのね。

尾崎行雄は後に「憲政の神様」と称された人だけども、この時のバッシングは辛かっただろうな~明治天皇に謝罪したくらいだからなー。

 

その共和演説事件について見てみよう。

尾崎行雄の共和演説事件とは?

まず、尾崎行雄はね。第一次伊藤内閣で文相を務めていた人物ね。

彼は、1898年8月21日の帝国教育茶話会で演説をするの。

こんな感じの話をね。

 

アメリカではお金持ちで大統領になった人はいなんですよ~。みんな貧乏出身なんですね~。

日本がアメリカみたいに共和制になることは絶対にないけども~、もしなったら、三井や三菱が大統領の候補になりますよね~。だって今の日本の政治は金権政治ですから!

 

ってね。共和制ってのは、大統領制とよく置き換えられるんだけど、厳密に言うと、国家の元首を君主ではなくて国民から選ぶこと。

って意味なの。つまり、大日本帝国憲法下において、国家の元首(1番偉い人)は天皇なわけじゃん?それを共和制にしたら、君主ではなくて国民から選ぶ!ってことになるから、天皇制を批判しているではないかー!!!

って、まず宮内省がブチ切れたのね。

そして貴族院や枢密院は第1次大隈内閣のような政党内閣に批判的だったから、ここぞとばかりに、

『そうだそうだ!共和制とはけしからん!天皇をバカにする気か!!!』

とキレ出したわけ。

こういった経緯で尾崎行雄はフルボッコにされてしまったわけさ。

実は尾崎行雄は、「日本が共和制になることは絶対にない。絶対にないけど・・・」と前置きした上で、この発言をしたんだけど天皇を批判するようなことはたとえ話でもNGなのが当時の日本。そして叩ける材料があったわけなんで、叩いたわけなんだ。

 

尾崎行雄は財閥中心の金権政治を批判したかっただけなんだけど、いかんせん例えが悪かったね。

尾崎行雄は辞任に追い込まれるんだけど、後任者をめぐって旧自由党系と旧進歩党系が争ったのは言うまでもないね。

 

だから第一次大隈内閣はわずか4ヶ月で退陣に追い込まれちゃったのさ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*