決戦!大坂冬の陣・夏の陣[後編]

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

前回の続き!いよいよ大坂の陣が終結するよ。

 

大坂冬の陣では家康軍が激しい砲撃、一方必死に城を守る秀頼軍。一進一退の攻防が続いて、家康、秀頼ともに戦況が苦しくなってきた!だから「タイム!」ってことで和議を成立させたね。

 

で、問題がこの和議だったよね!家康は堀を埋め尽くし、難攻不落と言われた城を裸にしちゃった。

 

攻め入る準備万端!「大坂夏の陣」が始まるよ。

 

和議のその後

家康は和平を結んだ後も大砲の建造を命じるなどして、着々と攻める準備をしていた。上っ面だけの和平条約だったんだね・・・。

 

そんな中で、家康側に「大坂の方で何やら不穏な動きがある」という知らせが届く。これを受けて家康は、秀頼側に「移封(違う土地に移動する)か、雇っている浪人を解雇しろ」と伝える。

 

そして秀頼側は「そんなことはできん!」と言っちゃう。

 

「じゃあしょうがない、死んでもらいましょ!」ということで、家康はついに軍を集結させ始めた!

 

大坂夏の陣

いよいよ決戦の時・・・なんだけど、前回でも話したように外堀も内堀も埋められちゃってて防御力がまるで無い・・・。

そこで!秀頼擁する豊臣軍は、「野戦」という戦い方でいくことにした。

 

大坂冬の陣はいわば「籠城戦」で、城の強固な守りを武器に戦うやり方なんだけど、「野戦」は奇襲などが可能な戦法なんだ。要するに「ワンチャン狙いに行った」わけだね!

 

実際に、かの有名な真田幸村も豊臣の奇襲隊に加わって、家康の本陣に突撃したりして、家康に自害を覚悟させるほどだったとも言われているよ。

 

でも、この戦いの結果は・・・豊臣軍の敗北。一番の敗因は圧倒的な「勢力差」。

1615年5月、大坂城は落城し、秀頼や淀君が自害してこの戦いは終わりをむかえる。

 

この戦いのあと、「元和偃武(えんぶ)」と呼ばれる応仁の乱からずっと続いてきた大きな戦いが終わって(クーデターとかはこの後少しあるけど)、「平和」な時代に入っていくんだ。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*