オランダ国王ウィレム2世の開国勧告を幕府は拒絶!

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アヘン戦争ばっかりでゴメンな。

でも、この出来事ってずっと鎖国を貫いてきた日本の方針を転換する皮切りとなった事件だし、当時の日本人にとっては戦々恐々どころか、今後のなりふりを考えなきゃいけない大事な出来事だからさ。

仲良くしていたオランダの国王までもが、日本に「もうさ、いっそ楽になって・・・開国しちゃえば?」「ユーしちゃいなよ!」と勧告しているわけなんだけども。このあたりの流れを復習しながらオランダ国王の話でもしようか。

オランダ国王の開国勧告

じゃ、まずは流れを追ってみるか。

1、清がイギリスに負ける
2、日本は焦る
3、オランダ風説書をグレードアップ!別段風説書!
4、天保の薪水給与令で異国船打払令緩和
5、鎖国どうするのさ

こういった流れなわけ。何度も言うけど、清が敗れたことによって西洋の植民地支配の波が極東の日本にまで及ぼうとしているんだよ。

実際、この時期って外国船がめちゃくちゃ日本の周りを行ったり来たりしていたわけね。そのたびに薪水を与えてたわけだからなかなか良いカモだよ、当時の江戸幕府は。

え??ちょっと待って??

オランダなんで開国勧めんの!?

 

って思ったあなた。鋭いね。

 

オランダは江戸幕府と独占的に貿易をしていたわけじゃん。江戸幕府は江戸初期にキリスト教の勧誘がうぜぇからスペインとポルトガルを追い出したわけだけども。

長崎で清とオランダとだけは貿易をしてたよね。

そんな独占状態のオランダがなぜ、日本に開国を勧告したのか。

それはだね。

 

当時の日本の周りには捕鯨船がウロウロしたり、北海道方面はロシアがウロウロしたり、アメリカはどうやら日本に興味を持っているらしいし。

ってことは江戸幕府はどのみち開国しなきゃならんだろー、とオランダは気づいていたわけ。

そうだよね、風説書を提出しているくらいだから世界の情勢もわかるし、日本弱そうだし。

 

だから、アメリカやロシアに先駆けて日本を開国させることによって、リーダーシップを発揮して

オランダの国益を守ろうとしたわけだね。まぁ他の国への優位性を示したかったわけだ。

一説によると、イギリスやフランスに比べて国力の弱かったオランダは日本と友好関係であることを利用して、開国させた暁にヨーロッパでの地位を復活させようとも目論んでいたらしい。

・・・それを、江戸幕府は拒否ー!!
1844年にオランダの国王ウィレム2世が江戸幕府に開国勧告を出すわけだけど、翌年に華麗に拒否するわけだ。さすが、日本。期待を裏切らないよね。

ここら辺にアジアの気概を感じるよ、俺は。

 

 

ということだ。

アヘン戦争が終わってからわずか2年。今みたいにネットもないし、国を渡るのも一苦労だ。

それがたったの2年でオランダの国王が開国を勧告するくらいだから、まさに激動だったんだろうな。

 

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