徳川家斉の行った大御所政治(大御所時代)ってなに!?

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前回まで「フェートン号事件」「異国船打払令」「モリソン号事件」といった、数々の外交問題について取り上げてきたね。

 

このような外交問題が起きていた時期、もっと正確に言えば松平定信の行った「寛政の改革」と水野忠邦が行う「天保の改革」の間の時期は、大御所時代と言われている。

 

この大御所時代っていったい何なのか。詳しく見ていこう。

徳川家斉は贅沢三昧

11代将軍・徳川家斉が将軍になると、松平定信が政治の実権を握って寛政の改革を実行した。

しかし、寛政の改革は時代錯誤的な政策であったり、厳格さが度を越していたこともあって幕府内から不満が続出した。

 

次第に定信と家斉は対立するようになる。

 

家斉は気にくわなくなった定信を辞めさせ、寛政の改革を終了させる。

 

しばらくして幕府内にいた松平定信派の人たちが次々に辞めていったため、家斉は当時側用人だった水野忠成を老中に置いた。

 

ここからの政治がまあひどい。

 

今まで贅沢な生活に口うるさかった定信派の面々がいなくなったことで、家斉はお金を浪費する生活を始める。

水野忠成もこれまたひどくて、「賄賂ってサイコー!!!」と賄賂政治を急激に推し進める。

 

最終的に田沼意次の時代をはるかに上回るレベルで賄賂政治が流行ってしまった。

 

また、貨幣の質を落として差額分を得るという貨幣改鋳(文政金銀)を行った。

これ、かつても元禄金銀のところであったよね。

 

貨幣の質を下げる改鋳は何を引き起こしてたんだっけ?

 

そう、激しいインフレだね。

 

一時的に幕府は爆発的な収益を得るけど、その反動で物価が急上昇。

おまけに家斉は金使いが超荒いからどんどん金が飛んでいく。

 

うーん、これはひどい・・・。

将軍引退後も政治の実権を握る

将軍を引退してからは大御所として隠居するんだけど、こうなった後も政治を牛耳り続けた。

結局、家斉が69歳で死ぬまで家斉のひどい政治は続いてしまった。

 

ちなみに。家斉が大御所であった期間はたった4年なんだけど、「大御所時代」というのは徳川家斉が将軍職に就いていた50年間も含まれる。

 

50年も将軍だったんだよ、この人・・・。

 

まとめ

こうした幕府が不安定な時代に、様々な外交問題が発生してしまった。

この影響で幕府はどんどん衰退していくことになる。

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