日英同盟とは? 日英関係の冷却の理由

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日英同盟を考えるうえで重要となってくるのは、

日米関係!!!!

 

日本とイギリスとの関係よりも日米の関係を学ばないと歴史の流れが見えてこないのだ。なんと驚き!

 

それじゃあ、最初に日米関係をざっとみてから、日英同盟とみていくよ!

悪化する日米関係

 

日米関係で悪化した原因は日本の満州経営にあるんだ。

半官半民(半分は政府、半分は民間の資本)の鉄道会社、南満州鉄道株式会社(満鉄)を1906年に日本が設立したんだったね(ここで詳しくやったよ)。

 

でもこれにはすこし面倒なストーリーがあったんだ。

ポーツマス条約で長春以南の鉄道利権(ちょうしゅんいなんのてつどうりけん)を獲得した日本だった。でも、日露戦争で借金漬けだったし、この権利をうまくつかえるかどうかがわからなかったんだ。

そこでアメリカから、鉄道王であり巨額の資本をもっているハリマンが日本にきて、共同経営を申し入れてきたんだ。

これに日本は一度同意する。

でもやっぱり「アメリカに植民地の利益が取られてしまうかもしれない」という恐れから日本はこの約束を破棄するよ。

 

このときから日本に対するアメリカの印象がわるくなっていくんだ。

 

そして、日本と仲のいい国、イギリスに「そんなになかよくするなよ」と文句をいいはじめるよ。

この理由で日英関係が冷え冷えになっちゃうんだ。

日英同盟とは?冷え冷えの推移

 

第一次日英同盟は1902年に結ばれた。

ロシアがどんどん中国に攻め入っているなか、これを強意に思ったのは日本だけじゃない。

イギリスもロシアを恐れていたんだ。

それにもしロシアと日本が手を組んだらもっと大変なことになるんじゃないか、と恐れていたんだ。

 

でもその予想に反して日本からイギリスに「ロシアをおさえるために同盟を結びましょう」といいよってきたんだ。

この誘いにイギリスは歓迎して同盟を結んだんだ。

これが1902年の第一次日英同盟ね。

 

そして、この戦略のためにおこなった同盟がさらにアツアツになるときがあったんだ。

そのきっかけが1905年の日本海海戦(これは日露戦争のところで詳しく説明したよ)だったんだ。

日本海海戦で日本はロシアのバルチック艦隊を破り圧勝。このことからイギリスが喜んで同盟を改定するよ。

それが

第2次日英同盟(だいにじにちえいどうめい)!!

 

この同盟で、

イギリスは日本の韓国支配を認めて、

同盟の適用範囲をインドまでに拡大して、

軍事同盟化

したんだ!!

 

これでイギリスと日本の結束力が強くなったのだ!

でもさっき話した日米関係の悪化が原因でどんどん日英関係が冷却していゆくよ。

 

なんでかっていうと、万が一日本がアメリカと戦争することになったら、

イギリスは日本側についてアメリカと戦わなければならなくなってしまう。

さらにアメリカがイギリスに強く日本とあまりかかわるなといってきたんだ。

 

これで1911年、イギリスと日本は再び同盟をするよ。

それが

第3次日英同盟(だいさんじにちえいどうめい)!!!

 

この同盟で、アメリカを同盟の適用範囲から除外したんだ。

 

このようにしてどんどん日英の協調関係はひえひえになっていったんだ!

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