二宮尊徳(金次郎)について。出身や名言、思想とは

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「二宮金次郎」といったら、たぶんみんな「ああ、銅像のあの人ね」と分かると思う。

テレビなんかでも金次郎の内容をやるときは必ず、薪を背負いながら本を読む姿の銅像が出てくるよね。

 

金次郎、正式には二宮尊徳というんだけど、彼は江戸後期に生きた偉人の一人なんだ。

 

今日はちょっと大きな歴史の流れから外れて、金次郎について見ていこう。

 

二宮尊徳の幼少時代

 

尊徳の幼少期は、決して楽とは言えなかった。

 

金次郎は比較的裕福な小田原の農家に生まれたんだけど、尊徳が5歳の時に近くの酒匂川が氾濫。

金次郎の家や田んぼがぐちゃぐちゃになってしまった。

何とか田んぼは数年で復活させたけど借金が生まれてしまう。

 

その後お父さんやお母さんの死や、またしても酒匂川の氾濫で田んぼが流れてしまうなどが起きて、尊徳はおじいちゃんの家に行く。

 

このおじいちゃんがめちゃくちゃケチ。当時尊徳はしっかり農業をして働き、夜には寝る間も惜しんで勉強をしていた。

しかし夜勉強するために使っていた灯油がもったいないとじいちゃんが罵ってくる。

 

そこで尊徳は、近くの堤防にアブラナを植えてそこから菜種油を取るようになる。自分で油を用意しちゃったんだ。

その後ケチなおじいちゃんのもとを離れ、どんどん田畑を耕していき20歳の時には自分の家を復活させる。

尊徳の思想、名言

尊徳が広めた思想として有名なのは、「報徳思想」というもの。

“誰かのためになることをすれば、いつかそれが自分に返ってくるんだよ”という教えだ。

 

この考え方、日本には非常に根付いていると思う。記事を書いている私も、親から「誰かのためになることをすれば、いつかそれが自分に返ってくるんだから、人助けはするんだぞ」とよく言われていたよ。

 

名言はいくつかあるけど、個人的にはこれが一番の名言だ。

大事を成さんと
欲する者は、
まず小事を務むべし。

大事を成さんと
欲して小事を怠り、

その成り難きを憂いて、
成り易きを務めざる者は、
小人の常なり。

それ小を積めば
大となる。

 

まとめ

尊徳は大人になってからは藩に仕え、農村の復興に従事したという。

彼の思想も、農村部に広まっていったという。

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