南部仏印進駐は、アメリカとの太平洋戦争「回帰不能点」。

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日本は、ドイツがフランス侵攻を行ったことに付け込んで北部仏印進駐を果たした。

こうして援蒋ルートのひとつ・仏印ルートを使えなくすることに成功した。

 

ただ、援蒋ルート最後のひとつ、ビルマルートがまだ残っていた。

長引く日中戦争を終わらせるためにも、日本は援蒋ルートを一本残らず封じてしまいたかったので、ビルマルートに近い“南部”仏印進駐を計画し始めた。

 

南部仏印進駐の実行

 

実は南部仏印進駐に踏み切ったのには、北部仏印進駐をやった時、意外とアメリカからの制裁がなかったことが関係している。

 

日本の軍部は北部仏印進駐したとき、想像していたほどアメリカやイギリスから反発を食らわなかったので「あれ?もしかして南部仏印に進駐しても反発こないんじゃ・・・」と考えるようになる。

 

南部仏印に進駐することは日本にとって結構メリットがあった。

資源が多く獲得できることはもちろん、南部仏印の近くにはイギリスやオランダの植民地があるからプレッシャーをかけられるようになる。

さらに援蒋ルート最後の一本・ビルマルートも近くにあるから、これを遮断することができる可能性もあった。

 

てなわけで、軍部は「アメリカ・イギリスからの反発が来ない」読みで南部仏印進駐を決定する。

 

いざ南部仏印進駐してみたら・・・

仏印、つまりフランス領インドシナ的には、日本軍に立ち向かえるような戦力もないし、対抗できる状態でもなかった。

だから日本の「南部仏印進駐」要求を飲むしかなかった。

 

かくして南部仏印進駐自体はすんなり実行された。

 

しかし・・・問題はここから。

日本の軍部は「南部仏印進駐してもみんな怒らないっしょ!」と考えていたけど、これは完全な判断ミス。

 

むしろ南部仏印進駐はアメリカにとって「最後の一線」だったんだ。

 

アメリカ側は南部仏印進駐を知るや、即座にアメリカにいる日本大使を呼びつけて「南部仏印進駐しやがったな、石油を禁輸にするぞ!?」と脅してくる。

 

石油の禁輸、というのは日本にとって何よりもキビシイ制裁だった。

 

今でもそうだけど、日本では石油がガンガンとれる場所なんてないよね。輸入に頼るしかないわけだ。

でも飛行機を飛ばすのも、戦艦を動かすのも、戦車動かすのもすべて石油が必要だ。

 

つまり石油≒戦力とも考えられる。

 

その石油を全面的に禁輸されてしまえば一大事。

日本はなんとかアメリカと交渉して石油禁輸を避けようとする。

 

だけど、アメリカの態度は冷え切ったものだった。それほどまでに、南部仏印進駐は超えてはならない一線だったわけだ。

結局交渉はまとまらず、アメリカは日本への石油禁輸を発動してしまう。

日本「石油禁輸はマズいぞ・・・!」

 

当時の日本には、戦争に必要な石油が1年半分しかなかった。

要するに、このまま何も対策をしなければ1年半後には戦争を続けることができなくなってしまう、というわけだ。

 

軍部は非常に焦った。

もし日本の石油が尽きたころにアメリカに宣戦布告されてしまったら、なすすべなく敗北するのは火を見るより明らか。

 

日本の外交官たちは必死にアメリカを説得して、状況をよくしようと活動を続けた。

だけど交渉は平行線のまま。

 

そしてついに、ハル・ノートが日本に渡される。

ハルノートについては次回詳しく見ていくよ。

 

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