内地雑居を認めようとした井上馨は売国奴なのか?

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今日はちょっとばかし、日本史の背景を知るトピックね。

理解が深まるから、なんで井上馨の井上改正案が批判の対象になったのか?ってのがわかるぜ。

内地雑居を認めようとした井上馨は売国奴呼ばわりされていただろうね。

内地雑居とは?

内地雑居ってのは、外国人に日本国内での居住・旅行・営業の自由を与えて内地開放しましょうね。ってこと。

 

「え?外国人って自由に旅行できなかったん?」
「お雇い外国人とかってどうでしてたん?」

 

という純粋な疑問が浮かび上がるでしょ。

 

まず、ちょっと遡って考えてみよう。

安政の五カ国条約の時って、外国人は一定の場所でしか住んじゃダメ!としていたのね。これに対して、当時欧米はかなり反対していたんだけども、

「いやいや、攘夷運動が盛んでして、おたくら外国人を傷つけたくないので、保護させてはもらえないでしょうかね??」

という、江戸幕府の素晴らしい戦略の下、外国人は居住場所が限られていたの。

実際、外国人がそこら中歩いてたら、攘夷派が外国人切り付けちゃうし危ないじゃん?

ってなわけで欧米列国も納得したわけだ。

 

それから日本は明治維新に進んでいって、外国の技術を取り入れるためにお雇い外国人がたくさん日本にやってきたわけ。

攘夷運動も衰退していったわけですから、外国人がたくさんやってくることによって、「外国人の居住場所規定」ってのはうやむやになってっちゃった。

 

じゃあ別にいいじゃん!!!

っと思いがちなんだけども。そうじゃないの。

治外法権ですから。外国人が犯罪を犯しても日本の法律で裁けないってことで、人々は、

「裁けない奴をそこらへん歩かせるなんて危ないじゃないですか。」

というド正論で、日本人と外国人を隔離すべき!というのが一般的な考え方になっていったわけ。もちろん国粋主義の人もいるし、外国人が普通に日本で生活するってなると日本の文化や伝統が損なわれるんじゃないか、って心配する人もいるからさ。

 

 

ここら辺が、井上改正案の1892年の話。

もちろん井上馨は政府内外の反対を浴びまくって、この案は通らなかった。

 

 

結末は?

 

1894年に陸奥宗光が頑張って、領事裁判権と治外法権が撤廃されたよね。外国人が犯罪を犯したら日本の法律で裁けるようになったわけだ。

その後、外国人の内地雑居を認める日英通商航海条約が結ばれて、1899年に外国人の内地雑居を認めることになったよ。

 

 

 

 

まぁハッキリ言って地味だよ。

地味な単元なんだけども、井上馨の井上改正案がどうして批判されたのか?ってのは条約改正の1つのポイントだからね。

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